大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

見とらんのなら、見ないよ。

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これも飛騨で日常会話で出てきます。勿論、見ていないと言う事は見ていないと言う事だ、などという言う、わけの解らない意味ではありません。 飛騨方言では "何々しなさいよ" を "何々しないよ" という言い回しなのです。 従って、答えは "見ていないのなら、どうぞ見てください" という意味です。 文例ですが、"冬ソナのDVDやけど、ええなあ。徹夜して見たさ。えっ、何?あんたまだ見とらん!見とらんのなら、見ないよ。貸すさ。"

尚、この動詞活用は女性が使うのが原則です。冬ソナのDVDの例えはその為です。 女性の"何々しないよ" に対して、男性は"何々せよ"となります。 "ダイハードやけどええぞ。おりゃ徹夜してみたわい。えっ、何?わりゃまだ見とらん!見とらんのなら、見れよ。貸すさ。"

うーん、ですから"貸すさ。"は男女共通動詞ですね。 フランス語、イタリア語、ポーランド語、アラビア語など人称別に活用する文法が即座に理解できる言語学者でなければ飛騨方言を完全理解する事は無理でしょう。 言い換えれば、飛騨の人は意外とこのような語学をマスターしやすい人々とも言えます。

ところが、本来、女性が使うべき"見ないよ"を男性が時に使用しても別に不思議ではありません。つまりは女性のようにやさしく言いたい場合です。 小学校低学年を受け持った男性教員が"はーい、みんなあ、宿題を出しないよう。ちゃんとやってきたかあ。"と児童に問いかけるでしょう。 男性医師が患者さんに"そんね、長い検査でないで、やってみないよ。寝とるだけやで。痛うもないし。"と優しくおっしゃるでしょう。

また、中高年の女性で第一人称に おりゃ を使う事があっても 見れよ。と男性動詞を使う事は普通ありません。 "おりゃ婦人科へ行って来るさ。あんたもいっしょに行きないよ。" が普通です。

ところが、ここにまた一つ例外があって、女性でも自分の子供、甥姪などに対しては男性動詞を使っても不思議ではありません。 その昔、 "野菜をとらにゃあ、だしかんぞ!"と畑の真ん中で息子にどなったおばちゃんの全国版のカゴメ野菜ジュースのテレビコマーシャルを、あるいはご存知でしょうか。 あの方は、実は私の同級生のお母さんです。

あるいは、若い女性でもわざと男性動詞を用いて、強い決意を示す事もあります。 "花子ちゃん、そりゃあ彼にちゃんといわにゃだしかんぞ。私がついとるで、ええ?絶対に言いないよ!"

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