大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

だちかんでもだしかん事は無い、要は、だちかんでもだちく!

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改めて言うほどの事ではありませんが、このインターネットという学校は方言の研究(というほどのものでもないか、実は単なる方言の勉強)に極めて有用です。 実は、"らちがあかない、だめである"という意味の だしかん という言葉ですが、事実、私は飛騨生まれの飛騨育ちで、生粋の飛騨人ですが、生まれてこれまで、 だちかん を使った事がないのです。勿論、まわりの人間も皆です。私にとっては幻の言葉、だちかん。嗚呼。

ところが現に当サイトの飛騨方言辞書コーナーの辞書のいくつかには だちかん が収載されていていますので、 やはり現に、高山では 一部の方は だちかん を使用しておみえなのでは?という推察が可能です。 そして本題ですが、ただ今、グーグルで"だちかん"をキーワードに検索しますと七千件弱もヒットしまして、 実に全国のさまざまな地方で話されているようですが、これら七千件弱の発信者の中に飛騨出身かつ在住の実人物が果たしてお見えでしょうか?

はい、お見えでした。若林 幸憲さんのサイト、記事内容からは彼が実人物である事は明らかです。 そして、http://www6.shizuokanet.ne.jp/kirameki/hougen/hida.htm のネット名・セラビさん、がしかし氏もご自身のサイトをお持ちで記事内容から彼が実人物である事も明らかです。 またネット以外の別情報源から、セラビさんはある関係で私の何年か後輩である事も、つい先程わかりました。

回りくどい話で申し訳ございませんが、とかくうそ記事、偽り記事の多いネット情報世界、がしかし、私はこのような実人物の方が発信なさる情報は素直に信じます。 言い換えますと、私がこうやっていつまでも "大西佐七" などと気どってネット情報を撒き散らしている事には負い目を感じます。私もいずれ必ずや、実名を名乗り、 飛騨方言なら私に"も"聞いてね、と国民の皆さんに公表せねばならないでしょう。 でも、なにせ勉強しだして間が無い、もうちょっと待ってください。 要は、素人なので恥ずかしいのです。

さて、本命題に戻りますが、生粋の飛騨人と信じている大西佐七・自分自身ですら知らない飛騨方言(厳密には高山弁)があるのか、という疑問に今まで悩まされてきたのです。 つまり高山で本当に だちかん という言葉は話されているのか、という 冒頭、シェークスピアの命題ですが、上記のグーグル結果から結論がでました。答えはイエス。 時間にして、たったの約三分、ただ同検索サイトで"だちかん"を検索し、元情報源を更にさぐったただけです。このスピードはインターネット学校ならでは、です。 方言とて決して古臭くはない、トレンディな勉強です。

だちかん が 時代を経て、だしかん に変わった事は少し勉強なさるとわかりますが、それ自身を問題にしているのではありません、言い換えましょう、 問題は現在も確かに だちかん と話す高山市民がおいでなのか、という命題ですが、答えは、"はい"。また、実は私は私の中学友人から以前に聞いて、 これの動詞形、つまり だちく(=らちがいく)という言葉が飛騨で話されていた事は知っていました。ですから題名 "だちかんでもだしかん事は・・・"の文章を訳しますと、
  ("だめだ"という意味での だしかん/だちかん と言う言葉は、高山ではほとんどの人が だしかん を使うかもしれないれど) だちかん でも、だめなことはない、要は だちかん でも (グーグル検索結果からは) らちがいく
<飛騨方言やけどえな、だしかん が正しいのか、 だちかん が正しいのか, どうなっとるんやな (シェークスピアが飛騨方言で).>
となります。シェークスピアの"だばはち"!(=漢字は駄馬八ではないかと想像します私の村の方言、意味は想像に任せます。)  実はそんなもんはなあ、ええに決まっとったんやさ。グーグルさん、ありがとな。

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