大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
さいた花がさいた、さいた花をさいた |
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私:飛騨方言の変な言い回しといっても文法をいじくるだけ。今日は格助詞をいじくってみた。 君:表題の通りね。「が」と「を」で大違い、ほほほ、もったいぶらずにさっさと種明かしをなさいませ。 私:うん。サ行イ音便は飛騨方言の特徴、つまりはカ行イ音便とサ行イ音便で同音異義語の混同が起きるというトリックをお示ししただけのこと。要はサ行動詞とカ行動詞で語幹が同じ動詞を見つければネタは作る事ができる。今夜の方言千一夜は「咲く・挿す」の二つの動詞の話題だ。「さいた花がさいた」は「挿した花が咲いた」の意味であり、「さいた花をさいた」は「咲いた花を挿した」の意味。つまりは前者は、まだツボミの花を今から咲くだろうな、と思って花瓶に挿したという意味であり、後者は、花が咲いたのでこれなら花瓶に挿しましょうという事で、つぼみではなく咲いた花を挿した、という意味。 君:それは、ちょいと考えれば誰でも気付く事、中学校・高校の教員なら誰でも知っている事だし、利口な中高生なら気づくわよ。問題は、どうして佐七が今夜もサ行イ音便の記事を書いているのか、という根本命題にお答えいただきたいわ。 私:ははは、それはとてもいい質問だ。But, that's what I have long wantend to ask you. 国際学会の百戦錬磨の野郎が使うフレーズだ。コホン、然し佐七は逃げません。僕がサ行イ音便にこだわるのはそれが飛騨方言の本質だからという事。飛騨方言にサ行イ音便が残るにはいろんな意味があるが、ひとつには京言葉だからだ。つまりは飛騨方言は機内方言の文法の方言。飛騨は地理的には圧倒的に江戸よりは京都に近い。ところが現実にはどうだろう、飛騨は日本の西でも東でもない真ん中じゃないですか。おまけにに太平洋でも日本海でもないじゃないですか。ちょうど日本の真ん中。そんな飛騨の国にサ行イ音便が残っている。なぜなのだろう。興味は尽きないが、勉強は始まったばかりだ。 君:要は・・酔っぱらって書いているのね。 私:えっ、わかるかい? 君:わかるわよ。辞書の情報が出てこないじゃない。頭の中だけでやってる、って事がまるわかりよ。 私:実はそうなんだ。娘と孫が泊まりに来た。普段と違い、居間のパソコンで書いている。酔っているし、孫と一緒に風呂にも入った、くだらない方言記事を書いて寝るだけだ。動きたくない。 君:道理で。辞書なしの馬鹿話もたまにはお願いね。ほほほ おまけ 飛騨方言でサ行イ音便が生き延びることができたのはアクセントの違いによって同音異義語を区別できたからでしょう。東京アクセントも飛騨方言アクセントも「咲く」は平板、「挿す」は頭高です。「さいた」のアクセントが平板なら「咲いた」で決まり、そして頭高なら「挿いた」で決まりです。「さいた(頭高)花がさいた(平板)」、そして「さいた(平板)花をさいた(頭高)」、つまりは格助詞の違いではなく、アクセントの違いを用いて同音異義語の意味の取り違えを防いでいるのが飛騨方言です。アクセントが違えば同音異義語の意味の混同は(絶対に)起きません。つまりは簡単な結論ですが、飛騨方言におけるサ行イ音便はアクセントの違いを利用してなんとか生き延びたのです。徹底的に京言葉と飛騨方言のアクセントの違いを調べれば京言葉でサ行イ音便が廃れて飛騨方言には残った理由がわかるはずです。(じゃないかな、若し違ってたらゴメンね) |
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