懐かしの昭和歌謡に、影を慕いて、がありますが、
歌詞そのものが古風という事になりますね。
したう・他ワ五(他動詞ワ行五段)、の連用形ですから口語では、
影を慕って、になります。
表題ですが、共通語では、慕っている、という意味ですが、
実は飛騨方言の動詞に、したる・自ラ四・(=こぼれる)、がありますので
飛騨方言では、したっている・こぼれている、両方の意味
になります。
ただし同音意義語とは言え、決定的な違いが、つまりは他動詞・自動詞、の
別がありますので、文脈からは意味の取り違えは
生ずべくもありません。
以上が前置きです。例えば、
しょうゆがしたっている。
文字通りに解釈するならば、しょうゆがこぼれている、
という飛騨方言の文章ですね。
唐変木の佐七はこれを他動詞と解釈します。
実はしょうゆが刺身を慕いているのです。
変しい変しい刺身様へ、お天気ですか。
貴方は必ず私・しょうゆでお召し上がりいただくのよね。
ソースなんかだめよね。
あなたをお慕いしている私は
したってもえんやぜな(=こぼれてもいいのよ、飛騨方言)。
少しまじめな話もしましょう。三省堂アクセント辞典には
動詞・慕う、は平板・中高の両論併記となっています。
影を慕いて、というフレーズは必ず中高で発音されるでしょう。
がしかし現在、慕う、は平板のアクセントで話される事が
多いのですね。飛騨方言動詞・したる、は平板アクセントが
普通でしょう。がしかし中高でもいけなくはないでしょうね。
つまりは、したっている、というフレーズは
アクセントの違いにより、意味は
したっている
○●●●▼○ こぼれている
○▼○○○○ 慕いている
と考えるべきでしょう。