表題ですが、食事を共にするという意味のありきたりの表現です。
ところが飛騨方言では場合によっては
特殊な意味になります。
例えば宴会、たまたま皿がひとつ足りないとします。
この場合、佐七夫婦は困惑する主催者にすかさず、
おりと家内は仲間でいただくで、一つでええさ。
年取るとなあ、あんまり食べれんのやさあ。
と告げるでしょうね。
ところが、宴会ですから出席者の全員が仲間意識で
食べるのは当たり前の事でしょう。
ただし、ここの意味はそうではなく、共有して、
という意味なのです。一つの皿を夫婦で分け合って食べる、
という意味です。
ですから、上記の会話文は聞き手も飛騨方言の話者である
限りは、仲間、というありきたりの言葉が実は
特殊な意味で使われている事に気付かないでも、
会話の流れは自然で、ハッピーエンドに終わります。
一方、上記の主催者が飛騨方言の話者で無い場合は、
単に
おりと家内は一つでええさ。
年取るとなあ、あんまり食べれんのやさあ。
という言葉なら理解ができても、仲間でいただく、の意味が
理解できないのです。
あるいは、佐七夫婦は特に仲のよい方々だけと別の小グループで、
つまりは、仲間内で、の意味に間違えられましょう。
また逆に主催者が飛騨方言の話者で、聞き手がそうでない場合に、主催者が
皿がひとつ足りんで、誰か仲間で食べてくれ、
なんて事も頼めんし、ほんと申し訳ありません。
と言っても、聞き手は、やはり意味がわからずキョトンとするのでしょう。
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