大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 文法 |
感動詞とは(1) |
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私:今夜は感動詞について。飛騨方言についてはネタ切れだ。 君:なんでもいいからひとつ書いておきたいという事ね。ほほほ 私:そういう事。先ほどは全文検索で当サイトにおける「感動詞」のコーナーを作った。一夜城。 君:結構あったのね。 私:前置きはさておき、二部構成でお話しよう。その一は「感動詞の陳腐な話」。その二は「感動詞歴史秘話」。何れも先ほど来、ネットを検索しまくった結果をお話しするだけの事なので、思わぬ勘違いがあったらご容赦を。 君:では、その一。 私:国文法の成書に記載がある通り。羅列すると、自立語、独立語、感動・詠嘆・呼びかけ、万国共通性、文節性。対峙する概念は「うめき声、ため息」、両者は言語音としての文節を持たない。つまり感動詞には文節がある。感動詞の重要な機能として,自己の気持ちしか表現できない事と過去の応答が不可能な事。正にその場その時の己のみの感情表現。 君:なるほど、陳腐な話ね。 私:陳腐のついでに、陳述副詞の一部で文相当のものを導き出すものは感動詞、という考えがある。 君:例をどうぞ。 私:ははは、それが答えだ。「どうぞ!」なんていうのが適例。 君:ちょっと面白くなりかけたけれど、第二部に移りましょう。歴史秘話。 私:うん。誰でもピンと来るであろう事は、「感動詞」という言葉って「間違ってるんじゃね?」という事。挨拶の「はい」、驚いた時の咄嗟の言葉「ぎょ!じぇじぇじぇ!」とかを感動詞と言われてもね。 君:挨拶詞、驚愕詞というのもね。 私:そう、切りがない。人間の感情は複雑だ。感動詞ならぬ感情詞のほうがまだまし。 君:そもそもが誰が言いだした言葉なのか、という命題ね。 私:そう。実は山田孝雄・日本文法学概論。でも実は彼が元祖じゃない。 君:元祖は誰? 私:ポルトガル人だ。ジョアン・ロドリゲス 。日本小文典。フランス語訳初版 1825年 パリ刊 Rodrigues, Joao / Landresse, Ernest Clerc de / Remusat, Abel ELEMENS DE LA GRAMMAIRE JAPONAISE,…Paris, A la Librairie Orientale de Dondey-Dupre Pere et Fils, 1825. 君:本居宣長の国学じゃなかったのね。 私:嗚呼。 君:ほほほ。 私:日本語の文法を記載したのが外国人だったとは。とほほ 君:それも感動詞ね。ぷふっ 私:おっと、そうきたか。ぶっ 君:ポルトガル語というかフランス語では感動詞の事をなんというのかしら。 私:残念ながら両語とも学んでいない。英語では interjection 、これは誰でも知っているだろう。 君:なるほど、間投詞ね。 私:そうなんだよ。明治開花とともにどっと押し寄せた西洋文明。国語学は国学を捨てて、英文法の日本語訳に突っ走った。苦労して間投詞という訳語を御作りになったのが大槻文彦。語法指南。これは日本で最初の国語辞書・言海の構成部分になっている日本語文法書。 君:つまりは後から出てきた山田孝雄・日本文法学概論が大槻文彦・語法指南の間投詞を感動詞に変えてしまったという事ね。 私:要は結論としては、山田先生は大槻さんを嫌いだったのだ。要はロドリゲスから始まる日本の品詞 interjection だから大槻式に直訳で間投詞でよかったんじゃないのかい。 君:人間は感情の生き物よ。 私:そう。山田先生は大槻文彦・語法指南を読んて、ダメ・絶対、という間投詞が出たに違いない。嗚呼、またつぶやいたインタージェクション。 君:やだ!これも若しかして感動詞?ほほほ(感動詞) 私:言っちゃなんだが語法指南は精読したぜ。 君:まあ!これも若しかして感動詞?大槻いのち。 |
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