大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

弁別 distinction のし直し

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私:標準語、つまり東京語と京言葉では著しく対立するアクセント体系である事は子供でも知っている。
君:「弁別のし直し 」とはどういう事かしら。The word, I guess. may be named "re-disctinction." Am I right ?
私: Yes. 東京の御方が、京都出張に際して京都の皆様にわざと「おおきに」と言ってみたり、またその逆とか、日本人はそれなりに方言を楽しんでいる。
君:つまりは「弁別」は二言語を区別する事、そして「し直し」は即興で、我流で相手側言語を真似する事かしら。
私:まあ、そんなところだ。ただし京都の人々にとっては、そのような東京人のアクセントは「なんちゃって京言葉」であり、微妙に違っている事を微笑ましく感ずる人もいれば、逆に違和感を感じておしまいの人もいるだろう。
君:でも微妙な差は気づかれにくいものだし、完璧に真似ができる事もあるのじゃないのかしら。
私:まあ、そうかも知れないね。ただし上記の例では弁別されるのは東京語であり、京言葉ではない。京言葉は言わば外国語。東京人がやっている事は、あくまでも東京語の一部分を独自のルールで修正して適当なところで京言葉としてはこれで良し、としているのであり、この二者を比較するのが弁別だ。実は話者自身に、若しかして正しい京言葉を話していないのではないか、という深層心理が働いているんだ。あるいは、自分は完璧な京言葉が話せる、という深層心理のおかたもいらっしゃるだろう。
君:あなたが都会に出て、飛騨方言を捨てて共通語を話している時も「弁別のし直し」の心理学が働くのね。
私:まあ、なんとかやってきた。わりとばれんのやさなあ。関西にて「いやあ、岐阜県は高山のご出身ですか。生まれもお育ちもてっきり東京のお方かと思いました。」と言われるとゾクッと来るね。という事で、一つ問題が生ずる。
君:問題が?ははあ、飛騨の出身者が関西で東京人のふりをしてもうまくいくけど、東京でこそ、すこしアクセントが違うので「ご出身はどちらですか」と聞かれる瞬間よね。
私:その通り。「関西と違って高山は東京のアクセントに近いのですね。」と言われるに及んで、弁別のし直しが完璧では無かった事に気づかされる。
君:悩む事なんてないわよ。あなたって気が小さいのね。
私:ははは、君こそ気が強いね。まあ、小さいと言えばその通りだが、但し、悩んではいない。僕はただ、言語学の命題に興味があるだけだ。折角の言語学の話題だから英語と日本語のアクセントの話題に変えよう。
君:英語はストレスアクセント、つまり強弱。そして日本湖はピッチアクセント、つまり高低。今まで繰り返しこのサイトで出てきたわよね。
私:結論から言おう。日本人が英語を学ぶのは不可能で、英米人が日本語を学ぶのは不可能。
君:それは暴言よ。教育界全てを敵に回すような言い方はお止めになって。
私:失礼。一般論としては、と付け加えておこう。教育の力は偉大だ。ところで中学や高校で英語のアクセント問題を解いたよね。
君:ええ、それがどうしたの。
私:日本人の学生が日本人の英語教員に教わっても正しくアクセント問題を解く事ができる。教育の力だ。ところがここに「弁別のし直し」の力が加わる。
君:わけのわからない論理に引っ張り込まないでよ。
私:日本人の英語教師は英語の強弱アクセントを日本語の高低アクセントに弁別し直して、学生に教える。教わる学生は教師の高低アクセントを聞いて、それを英語のアクセントと勘違いし、そして正しく英語の強弱アクセント問題を解き百点をとる。
君:つまりは高低アクセントと強弱アクセントは一対一で符合しているから、強弱なのか高低なのか、意識する事なくアクセント問題は解答する事が出来るという意味よね。
私:米人教師が話す英語と日本人教師が話す英語を聞き比べ、やはり違うな、と感ずるのはその点なんだ。そのような意味では日本人には日本語アクセントと米語アクセントを弁別する能力はきちんと備わっている。
君:でも日本人が発音を繰り返し練習しても、なかなかスラスラとは英語が話せないわね。
私:幼小児期に獲得した高低アクセントの日本語は生涯の財産だ。一生、消えるものではない。そしてそれを教育の力で矯正するのは更に至難の業と言うしかない。
君:でも有難いことに日本人が高低アクセント体系で英語を話しても英米人はそれを強弱アクセント体系で正しく弁別してくださるし、逆もまた真で、英米人の高低アクセントを日本人は高低アクセントで正しく弁別できるのよね。
私:日本人の英語教師は強弱アクセントを高低アクセントで教え、教わる生徒が高低アクセントで英米人に話しても英米人に正しく強弱アクセントで弁別していただける。
君:つまりは日本人が高低アクセントで英語を話しても、英米人に正しく弁別してもらえるので、日本人の高低アクセント英語は実用上は何ら問題がないという事ね。
私:その通り。正しく弁別されるアクセントなんか国際学会の場では何の問題にもならない。問題は発表の中身。
君:中身が無いと幾ら発音がうまくてもダメ。
私:その通り。中身は論理と言いかえる事もできる。
君:それにしても有難すぎる日米両言語のアクセント体系。明瞭に弁別されるので日本人が無意識に高低で話しかけても米国人は無意識に強弱でご理解してくださるとはね。
Distinction and re-distinction of two languages
Japanese and English languages are clearly disctinct in terms of accent, the former using pitch and the latter using stress. Furthermore, the two accent systems are well defined dichotomously. And high pitch corresponds to strong stress and, vice versa, low one to weak one also. All these phenomena make quite easy to understand each others' language accent for both American and Japanese people. Thererfore, it is not necessary at all to make his or her accent re-distinct for a Japanese student who studies English language. But we must know that there is A clear disticntion, in terms of accent, between the two languages.

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