大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
Bird talks and does not sing by any means. |
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私:少し気取って英語のタイトルにしてみた。2021今年に入り、NHKダーウィンで取り上げられ、昨晩はNHKBSの特別番組でも。先ほどは科学技術振興機構(JST)「科学と社会」推進部が動画をアップ。ご興味ある方は見逃し配信をご覧になるといいでしょう。 君:鳥の鳴き声にはなんと「へび蛇」という名詞がある事を発見なさったようね。 私:それだけではなく鳥達は文章を話している事が判った。「へび」+「危ない・気をつけろ」という鳴き方がある事がわかった。鈴木俊貴先生は鳥語を既に百個以上も発見なさったようだ。 君:人間のみが言語を持つという a priori reasoning に基づく概念に対する皮肉なアンチテーゼというわけね。 私:言語学を学ぶ前に人類学を知らねばならない。ところが人類学では「他の生物と異なり万物の霊長たる人類のみが道具を使う事を覚えつつ言語を獲得し、地球の支配者になった」と教えてきたからだね。左七は小学生の頃にジュウシマツを何年か飼っていて、つぶさに観察していたが、小鳥のさえずりは求愛行動位としか捉えていなかった。 君:飼い主なら鳴き声で動物の気持ちがわかるわよ。実は皆が薄々気づいていた事じゃないかしら。人間だってそう、母親なら泣く事しか知らない自分の赤ん坊の気持ちがよくわかるのよ。 私:うんその通り。要は国語がよくないと思う。鳥が「鳴く」とか「さえずる」という言い方をやめて「話す」というように改めるべきだろう。 君:「小鳥が歌う」はどうかしら。 私:ははは、これだけは見逃しだな。今、娘どもが孫に猛烈に教えているところだから。科学の話にもどろう。鳥たちは決して鳴いているわけでも、さえずっているわけでも、ましてや歌っているわけでもない。彼らは彼らなりの生活語を話しているというのが結論。せっかくだから和語の語源の話を少ししよう。例えば「なく鳴泣」。 君:うーん、考えた事もないわ。 私:語源は「ね音」。「なく」の語源は「ね音」+「く」。母音交替で「ねく」が「なく」になった。動物では「鳴く」とか、人は「泣く」とか、後世の当て字。夫木和歌抄(鎌倉)には「亀鳴く」の歌がある。生きとし生けるもの、音を立てれば「なく」というわけだね。 君:「さえずる」はどうかしら。 私:こちらは擬音語から来た言葉。「さえずる」は現代仮名遣いで、歴史的仮名遣いは自ラ四「さへづる」。そしてこれの古語が「さひつる」。「さひつる」の語幹は「さひ」で、これが生きとし生けるものが音を立てる擬音語。「つる」は和語によくある接尾語で、自ラ下二「おとづる訪」と同根だろうね。「おとづる」は「おと音」+他ラ下二「つる連」、「おーい、いるかい」が音で、音を運ぶ動作が「つる」というわけだ。私の言語感覚では a priori「さへづれる鳥」と下二っぽく活用してもいけちゃうけど、a posteriori 実際はというと、日本語の歴史はそうはならなかったみたいだね。蛇足ながら「ね」は高い音、「こゑ」は専ら人が出す音、「おと」は「ね・こゑ」を含んで音響一般。東大寺諷誦文稿の記載の如く、古代には「さひつる」の動詞は倭人以外の外国人が話す訳の分からない言葉や訛りのひどい飛騨方言を話す飛騨人の言葉を示す動詞でもあった。 君:古代の人達には鳥の言葉を理解してやろうという気概が足りなかったのよね。 私:そうだね。「さひつる」とは「意味不明な音をたてる」の意味だからね。要は日本人の精神構造はそこでストップしてしまっていたという事だ。京大の頭脳・鈴木先生は時代の寵児だな。動物学者に比べたら左七の飛騨方言の謎解きのなんと簡単な事。ぶっ 君:He thinks that he always discovers the truth of Hida Dialect, but others may not think so. ほほほ |
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