大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

個体発生は系統発生を繰り返す

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父親:どうだい、大学は。単位の取得は順調かい。
長女:勿論よ。ところで何、こんな所へ呼び出して。
父親:はは、ごめん。今日の話題は是非ともあなたにご登場いただかないと。
長女:題は生物学の事でしょ。言語学とは無関係よ。文科系に理科系は無関係、あら失礼、理科系は文科系が苦手なのよ。ごめんあそばせ。
父親:まあ、そうおっしゃらずに。エルンスト・ヘッケルを知ってるかい。
長女:どうかしてるわよ。題をその方のお名前にして、彼が唱えた学説は?と聞けばよかったのに。
父親:だね。Ernst Haeckelの通りだが、表題を簡単に説明しよう。個体発生とは、ひとりの人間が受胎後、立派な大人になるまでの過程、系統発生とは、人類がアフリカに発生して世界に散らばり、大和民族が誕生したのが一万年前だろう、そして現代人・日本人となるまでの過程だ。
長女:・・ええ、私まだ立派な大人になってません。いつまでもお父さんの子供です。なりだけは大人になりました。
父親:ははは、そのようにオベンチャラが言えるようになった、という事は大人だな。私は教育の専門家ではないが、一応はあなた、つまりは個体発生、を見届けてきた気がする。
長女:自我に目覚める前の自分を知る事はできませんものね。ふふふ、私の想像をぶち壊しにしないお約束ならという事で。
父親:ははは、ご安心を。一般論だ。どこのお子さんもねえ、こんなもんだ、というお話なんだ。
長女:なら安心よ、ではどうぞ。
父親:はい早速に、あなたが生まれたての時に話した日本語って、オギャーオギャーだけだっただろ。
長女:・・それがどうかして。
父親:人類はアフリカに生まれて世界に散らばった。人類が当初話していた言葉はオギャーだったのさ。
長女:どうしてそれがわかるの。
父親:ははは、人類から分化した猿がそうだ。彼らには人類のような進化した話言葉はない。周波数の異なる遠吠えなどを発して、実は猿にも方言があるそうだが、とてもじゃないが言語ではない。
長女:彼ら、って、・・・respectable だわね。ふふふ。
父親:そうだよ、チンパンジーじゃない。チンパン人だ。
長女:わかったわ、太古の人類も、チンパン人も、赤ん坊の私も似たような動物よね。
父親:まあね。そしてあなたがカタコトを話し始めた頃、一歳半ころの事だ。パパ・ママ、という言葉を話すようになった。ところで上田万年(かずとし)という大先生がいらして、上代の日本にはパピプペポがあったが、実は、ハヒフヘホ、は無いことを明らかにされた(P音考)。
長女:赤ちゃんが、ハハ、とは言わないわね。パーパー、よね。
父親:そうさ。お前は、グレープフルーツがどうしても言えなかった。グレーテプープだったよ。ハ行は乳児は言えないんだ。そして、上代の日本語に、ハ行はなかった。光る、はピカルといい、旗は、パタと言っていたのだろう。
長女:あらっ、ほんと?面白いわ!で。次は?
父親:ドラえもん、だ。お前はこれが言えなくって。だえもん、としか言えなかったな。二歳ころだったぞ。そして、上代、といっても奈良時代前後か、とにかく古代には日本語にラ行は無かったんだ。古代人には言いにくくって。やはり、だえもん、と言ったのだろう。
長女:そうかしら??上代だって知識階級はいたはずよ。私の乳幼児期などお恥ずかしい限りだわ。
父親:だろうね。勿論だ。私が言うのはそう意味ではない。要は日本語の文化がどうやって発展して来たかという事なんだ。また、あなたがどうやって次第に成長したか、という事だ。上代の知識階級がタイムスリップして現代に現れたら、たちどころに英語ぺラぺラだろうね。残念ながら古代はそのような文化だったという事。
長女:でも私、幼稚園の頃から今日まで、お父さんと普通に話していなかった??
父親:ははは、そうだよ。二・三歳ころからだったさ。話は続くが三・四歳ころだったか、さしすせそ、が言えなかったんだ。
長女:ふふふ、先生の事を、しぇんしぇー、とか?
父親:なんだ、わかっているじゃないか。室町時代の日本人だね。
長女:なんですって!!室町時代は、しゃしぃしゅしぇしょ?!!
父親:そうだよ。世界、という言葉が既に当時あった。というより、仏教の言葉だから仏教伝来から日本語としてあったのだ。これを、しぇかい、と言っていたのさ。ただし、東国では、せかい、というおかしな言い方をするとポルトガルの宣教師・ロドリゲスが書いている。
長女:知らなかったわ。さしすせそ、って以外と歴史が浅いのね。
父親:時代は一騎に飛ぶ。次いであなたが中一、さて何があった。
長女:大学も卒業間際でも、記憶では中一はついこの間ですものね。何があったといっても、そりゃありすぎて。
父親:あなたの中学といえば、英語を始めた事さ!!
長女:なら、話しやすいわ。あれこれ思い出します。
父親:そうそう、その調子。ところで四歳から六歳まで米国にいて毎日、英語にさらされていた事を覚えているかい。
長女:さあ。
父親:だろうね。言語形成に大切な時期だったが、私ども夫婦はお前に一切、英語教育はしていない。お前はいつもキンダーでお客さんだった。ところが帰国六ヶ月前あたりから両親が教えてもいない英語を突然、話し始めたのだ。それが実は、なかなかの様になっていた。
長女:えっ、私が英語ペラペラだった!!でも覚えが無いわ!!
父親:だよね。しかも帰国して一ヶ月経ったらお前は英語のエの字も話さなくなった。Brief candle! これじゃあ、帰国子女が悲しい、と思って、よい子の英会話教室に通わせたり、両親なりに、サンデー・マンデー、なんて教えてみたんだが・・
長女:・・ふふふ、それすら覚えがないわ。
父親:でもなあ、お前にとってはついこの間の事、中学から英語を勉強した事はよく覚えているだろ?
長女:そうね、で結論は。
父親:はじめに教わる単語、例えばティーチャーさ。こんな発音、明治の人は、つまりは私の祖父母は出来ないぜ。
長女:えっ、冗談でしょ。
父親:PTA、これは明治の人ならピーテーエーだ。ティーが発音できない!帰国子女が英語が話せぬという小学校時代のお前だ。
長女:なるほど、わかったわ。でも明治の人が幼稚だったわけじゃなくて、今生まれ育っていたら、たちどころに英語ぺラぺラだったのかもよね。
父親:わかってるじゃないか。日本語の音韻史を一言で表せば、つまりは次第に音韻が豊かになってきたのさ。お前も半生の間に次第に音韻が豊かになってきた。そして両者共に本日に至る。あなたという個人・日本語という東洋の文化、両者の歴史はうりふたつ也、というお話しだ。
長女:(・・お父さん、系統発生とその終末部分たる人類の進化の両者を混同しているわね、ふふ、でもここはひとつ私も大人になって・・)突拍子もない話だけど、一理はあるわ、と娘だけは納得よ。

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