大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

共生の言語学

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私:先ほどまで木部暢子編・三省堂方言学を読んでいて、おやおや、と感じた言葉に出くわした。
君:それで、今夜はそのお話ね。何か気になると調べ事をはじめて、知った事をここに書く。
私:要はそういう事。方言などというものを知ろうが知るまいが実生活上は困らない。道楽という事になる。
君:おやっ、と思った言葉とは。
私:そりゃもう学術語に決まってるよ。当サイトの用語集だが、方言学用語というものはいったい幾つあるのだろう。数千はありそうだ。コツコツと調べて全部書き出しててみようと思っている。それだけの事。
君:変わっているのね。
私:結構、面白いんだよ。今日の言葉は「ウェルフェア・リングイスティックス」。
君:英語の文献でもお調べになったのかしら。
私:綴りは welfare linguistics だね。でも、ネット検索で英文献は出てこない。日本語の資料が多い。方言に関する資料も多い。他に関連するキーワードとしては医療現場とか、外国人に対する日本語教育とか、大規模災害とか。
君:手短にお願いね。
私:元阪大教授の故・徳川宗賢先生のご業績という事じゃないかな。国語学のドン。巨星落つ。日本語、外国語、日本語方言が共生し、皆が幸せになれる日本社会を目指そうという運動。社会言語学の分野。
君:でもあなたの考えでは、徳川宗賢先生、気取ってカタカナ英語は駄目ですよ、とおっしゃりたいのよね。
私:うっ、露骨だな。学者の本懐としては自分の名前が残る事、或いは自分が作った言葉が残る事だろう。同語をキーワードに相当のネット資料が見られるから、面目躍如だね。ところで徳川先生がお亡くなりの後に遂に出てきた言葉が「共生の言語学」。

君:共生の言語学 = Welfare-Linguistics という表題だわよ。
私:Two proper nouns can not be hyphenated。残念。まあ、いいやそんな事。日本語としてこなれているから徳川先生のカタカナ用語よりもスマートだと思う。私は「共生の言語学」という用語を支持したい。
君:村田和代先生ってどんなお方?
私:龍谷大学卒、龍谷大学教授。京都から一歩も出ておられないお方だね。というか、学生時代から龍谷キャンパスを一センチも出ておられぬようだ。但しご専門は仏教の経典ではなく、社会言語学。
君:それはよいとして、本題に入らなくちゃ。共生の言語学について手短にお願いね。
私:医療現場では若い医療従事者が老人の話す方言がわからないという現実の問題がある。国語学として支援が必要だという事。共通語の教育だけが国語ではない。
君:外国語の場合はもっと困るわね。
私:英語が流暢な患者さんなら問題ないんだよ。今まで意思疎通に困った事は無い。海外赴任者・留学者も増えている。英語の紹介状をお書きするのは日常の仕事となっている。医学の世界では英語が世界共通語だ。英語なら世界中の医師と正確に意思疎通ができる。日本の医療で最も問題となるのがポルトガル語。世界史のおさらいだが中南米はスペイン語がほとんどだが、ブラジルだけが唯一、ポルトガル語が公用語。私が住む可児市はブラジル人が多い。日本語を話せない人もいる。お隣の市・木沢記念病院の医師・石原哲先生はポルトガル語が堪能で、「すぐ役立つ病院でのブラジル・ポルトガル語」という本を出版なさった。
君:方言の逸話もお話しくださらないかしら。
私:ああ、僕の経験だが、患者さんの主訴が「ずつない」、これがわからなかった。よくよくお聞きすると「つらい・苦しい」というような意味でお使いだった。高山市の久美愛病院の院長が同級生だが、彼は東京育ち。赴任したころの逸話で方言に悩まされたと言っていた。入院患者の夫の事を妻が「うちのじいさん、かわいい事で」と泣いて訴えた意味がわからなかったそうだが「可哀そうな事で」の意味。
君:「共生の言語学」の出版は2015。徳川先生がお亡くなりになった年は?
私:徳川学の流れ : 方言学から社会言語学へ(<特集>徳川宗賢会長追悼)、1999だ。
君:つまり2015は忌明けね。
私:そういう事。
君:sociolinguistics と書かれているわよ。社会言語学とでも訳せばいいのよね。
私:その通り。sociolinguistics をキーワードにすると英語ネット情報は爆発的に増える。英語の出版も多い。
君:sociolinguistics = welfare linguistics ?
私:そういう事。
君:忌明けに皆が言いたい事を言い始めた?
私:そういう事。
君:お弟子さんですら。
私:そういう事。
君:いわんやお弟子さんでない方も。2015
私:そういう事。
君:いわんや大西左七も。2021

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