大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
通時性と共時性 |
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私:飛騨方言の語源を考える上で無意識に行っていたのが表題。ソシュール言語学の根本。 君:ソシュールは戦前の言語学者。スイス人。近代言語学の父ね。 私:Ferdinand de Saussure 学説を日本に紹介したのが時枝枝誠記。東京帝大教授。 君:国語学原論ね。 私:復刻版が出ている。75頁に若干、触れている。だから表題の語は彼の訳だろう。それはさておき。 君:共時論(synchrony)はある歴史時点の言語状態を追及する言語学的立場。 通時論(diachrony)は複数の歴史時点間の言語の差異を追及する言語学的立場。 私:そう。お互いに対峙する立場。フランス語では linguistique synchronique / l. diachronique だから柳田国男の方言周圏論は共時論的立場だね。方言量、という概念がまさにそう。 君:通時論とは中央における言葉の変遷、つまりは語誌という事ね。 私:そう。早い話が文献。つまりは古文書の世界。・・苦手だ。 君:通時性と共時性は対峙する立場というよりは一体的なのじゃないかしら。 私:うーん、そう来たか。なるほどその通りだ。立体的な物質を縦割りにしたり、横割りの断面を見たりという事で内部の構造の理解に迫る事が出来るが、それぞれが通時性と共時性に対応している。 君:語源探しと、縦割り横割りとの関係は? 私:円錐でも角錐でもいいが、錐体の頂点にあるのが語源。つまりは縦割りを上へ上へと見ていくという事は、横割りの面積がどんどん縮小して遂には面積がゼロになる事。数学では極点というところかな。収束する、とも言うね。 君:どう考えてみてもこの一つの語源しかない、という結論に到達する、という意味ね。それともうひとつ、語源というと名詞に限られる、と考えてはいけないのよね。 私:文法、つまりは活用なども含まれる。大きくは文語文法と口語文法だが、文語文法に関しては、上代、中世、近世、近代、のそれぞれについて知っていないとだめ。 君:問題が原始の日本語ね。漢字の輸入まで文字を持たなかった倭語の悲劇ね。 |
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