大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 大西村

四月 かいこ

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私:久しぶり、十数年ぶりに農具揃(のうぐせん)の紹介記事を再開したいと思う。
君:農具揃とは。
私:歴史書。飛騨箕輪村(高山市国府町箕輪)の篤農家・大坪二市が慶応元年頃に著した農業書。当時の飛騨の生活がリアルに詳細に書かれている。
君:手元に復刻版があるのよね。
私:ああ、ある。日本農書全集第24巻。昭和56年(1981)初版。絶版。運が良ければ古書で手に入るかも。
君:あなたにとっての価値とは。
私:私の高祖父母(4代前)の更に前、六世の祖あたりの暮らしぶりが想像出来ようというものだ。江戸時代の僕のおじいちゃん・おばあちゃんの暮らしぶりが知りたい、それだけの事。
君:確かに面白そうね。飛騨人(ひだびと)の民俗学ね。
私:そうだよ。それにこれがまた方言語彙のオンパレードなんだ。といっても大半が死語。でも現代語による丁寧な解説付きだから簡単に読める。現代語訳・解題者丸山幸太郎先生の御略歴は、岐阜大学学芸学部史学科卒、岐阜県資料編集室、岐阜県歴史資料館、岐阜県教委、岐阜女子大学。
君:つまりは四月を先ほど書き足したのね。
私:ああ。四月は農耕が本格的になる月だが、養蚕もスタートする。そもそも江戸時代・明治に養蚕は日本の副業で最も大切な産業。蚕が二齢、三齢、四齢、つまりは脱皮を繰り返し、ぐんぐんと大きくなるにつれ段々と忙しくなっていく。掃き落とし、つまりは孵化した幼虫を傷つけないように羽ほうき、これは鶏の羽で作ったほうき、を用いてそうっと飼育箱に掃き落とす事からはじまる。蚕育の第一歩だ。蚕時計で常に湿度管理を怠らない事。蚕部屋が適温になるように気を配り、雨が降りそうなときは桑葉を摘み溜めておかねばならない。
君:沢山の語彙が出てくるわね。
私:大々的に養蚕をするようになったからだね。白川郷の蚕部屋が有名だが、大西村の我が家でも、二階は半分が板の間で蚕部屋、半分が畳部屋で客間だった。高校を卒業するまで客間を勉強部屋に使わせてもらっていた。僕は春ともなると四月から二階でお蚕様とお寝んねしていたんだ。
君:なるほど、そりゃあ懐かしいわよね。
私:そう。このサイトは誰のものでもない。書いている自分が楽しければいい。それだけの事。
君:江戸時代の飛騨の田舎の生活。語られる情報は死語の方言語彙。マニアックすぎる世界ね。ほほほ

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