大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

方言のアクセントの違いはどうやって生まれた?

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私:まずは木部先生のお話をどうぞ。

君:随分と平易なお話ね。 You Tube Kids のカテゴリーのようだけど。
私:小学生向けと言っていい。
君:高学年ともなると、このようなご説明に納得しないという児童生徒さんが現れそうね。
私:国研のコンテンツは全てがコメントオフになっているようだ。だから、このような形でこの場で僕の考える事をお書きしても失礼にはならないかと思う。それに僕はアマチュアの立場だし。
君:具体的にお話のどの部分があなたなりの気持ちとしてはひっかかるのかしら。
私:袋の例えだね。実際には袋などというものは存在しないのだし。
君:あなたなら各地の方言のアクセントの違い、具体的には京阪式と東京式の違い、こんな違いが生まれてしまった原因は何だったのか、ある程度の考えはあるのよね。
私:ああ。やはりアクセントの東西の違いも方言周圏論という事なのじゃないかな。
君:具体的にお話ししてね。
私:手元に金田一春彦・日本語音韻音調史の研究・吉川弘文館(ISBN4-642-08521-1)がある。残念ながら絶版、いつ手に入れたのか覚えがないが、定価は11000円。今は古書で二万円以上のようだ。カーリルで検索したら岐阜県は岐阜県図書館、海津市図書館、聖徳学園大学図書館の三か所にあった。日本語のアクセントの歴史について興味のあるかたには一読をお勧めする。
君:そういう言い方ではなくて、お利巧な中学生あたりが、なるほど、と納得しそうな説明でいいのよ。
私:そうだね。言葉は語彙とアクセントの二つの要素があるが、語彙について民俗学者の柳田國男先生が蝸牛考で述べたのが方言周圏論。古(いにしえ)の時代に都で使われた言葉が都を中心として同心円状に地方へ伝わり、地方に伝わるころには都では同じ内容の言葉でも違った言い方が一般になり、つまりは都から同じ距離離れた二つ以上の地域に古い言葉が残っているという考え。アクセントもこれと同じで古代には日本全体で同じものだったのだろう。つまりは古代には同じ語彙・同じアクセントの日琉祖語が存在していた。この日琉祖語のアクセントの系統が現在の東京式という事なんじゃないかな。つまりは京阪地方以外は古代のアクセントが残っているという事じゃないかと思うんだ。金田一先生の詳細な研究により現在の京阪式アクセントは平安時代に京阪地方で生まれたアクセントであるという事がわかっている。そして時代は中世、近世、近代、現代と千年以上の月日が流れたが、相変わらず京阪地方は平安のアクセントのままだ。細かい事を言えば別で、鎌倉時代にこのようにアクセントが変わったとか、若干の変化はあったようだが、大まかにいうと平安の京都のアクセントと現代の京都のアクセントはそんなには変わらない。
君:つまりは東京や飛騨をはじめ、京阪以外の地方は古代の日琉祖語からほとんどアクセントが変わっていないといいたいのね。
私:その通り。日琉祖語もどきの東京式アクセントを別名が外輪アクセントといい、千年前に平安時代に出来た京阪式アクセントを内輪アクセントともいう。
君:でもここ数十年で日本語のアクセントがどんどん変化しているわよ。三拍名詞で頭高が中高、平板に向かっている事は有名じゃないの。
私:確かにそうだが、音韻音調史を100年単位で考えると、やはり方言周圏論的な結論に達する。
君:平安時代に京阪式アクセントが生まれた原因は何かしら。
私:京都で生まれて、これが近畿一帯に伝搬したのだろうね。つまり京都の貴族・公家等の言葉遣いから出てきたものじゃないのかな。簡単に言うと雅な言い方。庶民がそれをまねるようになったという事かとも思う。階級方言という学術語があるが、階級アクセントからスタートしたものが、やがて階級差がなくなり、地域のアクセント、つまりは京阪という地域限定のアクセントになったのだろう。三重県は京阪に近く、内輪アクセントになった。池の真ん中から生じた同心円の波にも例えられる今日の都のアクセントが木曽三川を超えて中部地方に伝搬する事は無かった。
君:アクセント対応についてはどうお思いかしら。
私:単語ごとに東京で頭高は京阪で中高になり、また逆に東京で中高は京阪で頭高になる、というような現象だね。これも成立のメカニズムは簡単な事だと思う。成書には東京式アクセントから一拍だけアクセント核が前の方向にズレると京阪式になる、というような記載が多いと思うが、人間が無意識に近く話すアクセントで、果たしてそんな高等な変換が行われて京阪式アクセントが平安時代に誕生したのだろうか。少しどころかおおいに疑問に思う。少なくとも僕の頭ではそんな器用な事は出来ないよ。
君:なら、もっと簡単な説明を考えたいという事なのよね。
私:その通り。そもそも日本語のアクセントは一拍目と二拍めの高低でなんとなく決まってしまう。つまりは高低か低高の二つのパターンしかない。つまりは平安時代に貴族や公家さん達が面白半分に高低アクセントの言葉を低高アクセントで話し、また逆に低高アクセントの言葉を高低アクセントで話しはじめた、たったそれだけのきっかけだったのじゃないかな。つまりは頭高は中高で、中高は頭高で話し始めたという事だと思う。
君:なるほどアクセント対応の説明はそれでなんとなく理解できそうね。ところで東京式と京阪式でアクセント対応していないものもあるわよ。
私:それが、つまりは貴族の言葉のお遊びという事なんじゃないのかい。少し気取ったアクセント体系を作り上げ、庶民の言葉とは違うぞ、という階級方言を作ったという事なのだろう。なかなか一筋縄ではいかないところとか、結局のところ、結論ははっきりしない、というのが国語のいいところだが、要は僕が言いたいのは、アクセントの歴史も方言周圏論の延長にあるのだろう、という事。袋の例えは如何なものかと思う。池の真ん中に石をポチャンと投げると波が同心円状に広がる、アクセントはとてもゆっくりな波と例えたい。
君:ならば崩壊アクセントとか、一型・二型アクセントについては、どう考えたいのかしら。
私:崩壊アクセントは外輪アクセントの衰弱した形、つまりはアクセント核がなくなってしまったものだろうね。一型・二型アクセントも日琉祖語から始まったものの、一千年以上の歴史で現在の形になってしまったという事だと思う。
君:飛騨が外輪アクセントという事は、飛騨は明らかに田舎という事なのね。
私:ははは、その通り。僕は小学生時代は国語辞典に日本のアクセント分布図があるのをみて、なんと東京と飛騨が同じアクセント、やっほう・なんて自分の村のアクセントは進んでいるんだ・飛騨方言のアクセントは京阪地方より進化しているな、などと考えて嬉しかった事を思い出す。要は語彙の伝搬もアクセントの伝搬も方言周圏論で説明がつく。語彙の伝搬スピードは一世紀で百キロ、アクセントの談判速度は語彙のそれと違い、極端に遅い。要は僕が言っている事は何の事は無い三角関数のフーリエ解析と同じ。波の合成。物理でも学ぶ。これなら斐校の生徒さんも僕を信じてくれるかも。やはり僕は理系の頭。
君:ほほほ、フーリエね。飛騨のアクセントは実際は京都より進んでいるどころか、その逆で弥生時代や縄文時代とあまり変わらないのかもしれないわね。飛騨方言と都の言葉はアクセントに関しては全くの無縁なのよね。ほほほ

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