大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
形容動詞とは |
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私:先月は形容詞にはまってしまって、形容詞というコーナーを設けて幾つかの原稿を書いた。 君:ほほほ、次いでだから今月は形容動詞についてあれこれお調べものですか。 私:まあ、そんなところだね。簡単にひと言でいうと、文法学説は複数あり、学校文法だけが文法ではない。山田文法や時枝文法のように形容動詞の概念を認めない立場もある。僕自身はお二人の立場に立って、形容動詞という言葉は要らない、という気持ちで今までこのサイトを運営してきた。 君:では、本日をもって形容動詞の概念を認めるという立場でいこうと決心したという事かしら。 私:まあ、そんなところだね。確かに便利な言葉には違いない。今夜は序章という事で基礎の基礎。古語辞典の巻末には必ず活用表が書かれている、形動ナリタリ。ナリは「にあり」の転、タリは「とあり」の転。つまりは体言+格助詞「に・と」+存在の自ラ変「あり有在」の事を示す。つまりは全ての形容動詞には祖語があり、類推も極めて容易、これが形容動詞を品詞と認めない立場。奈良時代から既に形容動詞は存在した。例えば、盛り也、いかなる。 君:文語はそんなところね。口語の「だ・です」の成立はいつ頃かしら。 私:いい質問だ。成立は文語の後です。つまりは奈良時代以降。 君:ふざけないでよ。 私:はい、ふざけました。ごめんなさい。「だ」の文語表記は「ぢゃ」。例えば、不憫ぢゃ。つまりは「にてあり」が「であり」に変化し、やがて「であ」、そして遂には「ぢゃ・だ」になったのが室町時代と言われている。 君:なるほど、そして現代語の畿内方言及び飛騨方言では「不憫や」、そして東京語では室町のままで「不憫だ」なのね。 私:左様でございます。東京語のほうが京言葉より歴史が古いんだよ。流石に今時の京美人さんは「不憫ぢゃ」とは仰らないだろう。 君:丁寧語で「です」があるけれど、「だ」と同じ歴史なのよね。 私:まあ、そんなところだな。もっとも古語辞典に記載があるのは助動詞特別活用「です」のみ。いちいち記載していたらきりがないから紙面の関係でひとくくりにされている。「であり」の丁寧語なのだが、起源には諸説ある。実は「だ」より古い可能性もある。上代語に「さもらふ」があった。これがスタート。やがて「さむらふ」、そして武士言葉「さぶらふ」。さぶらひ侍、という名詞も出来た。狂言で大名・鬼・山伏・奏者などが「にて候」「で候」と言うようになり、やがて「でさう」「です」。やはり室町辺りに「です」が成立。 君:形動ナリは現代語としては用言としては消滅したのかしら。 私:それは個人の言葉の感性の違いだと思う。いきなり質問、平城京遷都は何年かな? 君:小学生でも知っているわよ。710年。教室に日本史年表で張られているわ。 私:なんときれいな奈良の都、って覚えたよね。泣くよ鶯、平安京。 君:日本語教師は外国人に、きれいな、の事を「ナ形容詞」であると教えるのよね。 私:奈良の都はなんときれいな。これでも通じるでしょう。「きれいな」ってどう考えても用言。 君:きれいな事、の意味じゃないかしら。やはりナ形容詞よ。 私:何言ってやがんだい。きれいな事ぢゃ。つまりはどう考えても形容動詞でえ、親父ギャグ。 君:なるほど。なんでもかんでも形容動詞にできるわね。 私:そう。他には、スマートです、ショックです、エクセントリックだ。なんでも用言に出来る形容動詞はとても便利ぢゃ。室町時代。 君:そやな。現代口語の飛騨方言形容動詞よ。ほほほ |
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