大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
芳賀矢一 |
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私:今夜も形容動詞のお話。 君:と言う事は? 私:そう。 君:つまりは芳賀矢一は形容動詞という名前を作った人。 私:正解。明治の国文学者。上田萬年に続く東京帝国大学国語国文学教授。近代国文学の父。國學院中興の祖。中等教科明治文典。こことここ 君:その前後には各種の学説が跋扈、ただし形容動詞のみがほぼ学界の定説になり今日に至る、という事ね。 私:そう。一世紀の歴史を生き延びて確立された言葉なので、今後にこの言葉が滅びる事は無いだろう。 君:でも昨晩のお話では、形容動詞は奈良時代から既にあった、とおっしゃらなかったかしら。 私:勿論。国学でも研究されて来た形容動詞の歴史。「明らかな」などの品詞の研究はロドリゲス・日本大文典に見られる。つまり江戸時代。富士谷成章・あゆひ抄、には、用言をよそおひ装、更に動詞を、こと事、それ以外を、さま状、とした。つまりは形容動詞とは、装の下位分類たる状の一種。これが国学的解釈。 君:形容動詞以外の言葉は良い子は知らなくてもよさそうね。 私:知る必要は全くない。僕のような文法オタクが知っていればよい。一寸の虫にも五分の魂ってやつだ。敗者の論理を知る事は独り勝ちの芳賀先生への尊敬にもつながる。 君:用言であるには違いないし、ただし動詞でもなく形容詞でもない形容動詞。形容動詞の意義を一言でお願いね。 私:奈良時代から既に生まれていた形容動詞。なぜ生まれたのか、という命題に置き換える事もできるね。ずばり、形容詞の不足を補うためだ。形容詞は語尾が単純であるのに対し、形容動詞は変化が大きく、多彩な内容を持ちうる。つまりは形容動詞は形容詞の意味論的な弱点を補うために必然的に生まれた。 君:しずけし静、と、しずかなり静也、を比べたらよくわかるわね。 私:そりゃあ、教室での君の台詞だろ。「静かに!」これ一発で命令形になるんだから。ぶっ 君:静かなれ、とは言わないわよ。つまりは、静かにせよ、つまりサ変だわよ。 私:しずけし静、は死語である。誰も使わない。しずか、だけが残った。しずか、って何? 君:体言よ。でも若しかして形容動詞の語幹。ほほほ 私:ははは、まんまとひっかかったね。さて、すべての形容動詞の語幹は体言。これをいいかえると? 君:体言の一部は形容動詞の語幹。 私:つまり体言には形容動詞の語幹になれるものとなれないものがある。君が突然に「机に!」と怒鳴っても生徒はキョトンとするだけ。 君:つまりは、しずか、は形容動詞の語幹になれる体言。 私:つまりは、しずかに、は広義の体言「しずか」ではなく実は形容動詞の語幹が活用した事に他ならない。オジンの屁理屈だ。 君:確かに!おばんギャグよ。命令ではなく詠嘆ね。 |
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