大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

吉沢義則

戻る

私:今夜も形容動詞の総論。
君:もうおひとり紹介という意味ね。
私:形容動詞周辺の諸問題は国文学者、言語学者を魅了し続けた。名だたる先生方が全てお書きになっている。今日、形容動詞という名前は不動のものとなっているので、そもそもが形容動詞を認めないという文法学説の先生がたにはご退場願うのが宜しいかと思う。
君:ということは。
私:そう。吉沢義則は芳賀矢一に続く肯定派。戦前の国語学者。東京帝大卒。京都帝大教授。吉沢は芳賀の9年後輩。
君:芳賀は吉沢にとって頭の上がらない大先輩というわけね。
私:まあ、そんなところでしょう。下世話な話は置いておいて、早速に本題。吉沢の業績は「所謂形容動詞について」(『国語・国文』二ノ一)。形容動詞と.ラ行変格活用(ラ変)との相違点を挙げて、動詞から分離して形容動詞を設ける必要のある事を論じた。特に注意すべきは、カリ活用・ナリ活用・タリ活用の語尾にそれぞれ「ク・ニ・ト」を認め、副詞との間に一線を画した事。以後は形容動詞という言葉はほぼ学界の定説になり、今日に至る。
君:羅列的で味の無いお話ね。もっと自分の言葉でお話なさったらどうかしら。珍説でもいいから。
私:うん。君の言う通りだ。形動ナリと形動タリが形容動詞「だ・です」になった事は日本人なら直感的に理解できる。形容詞のカリ活用について少し考えて見よう。形カリの語源は「くあり」。蛇足ながら形動ナリは「にあり」、形動タリは「とあり・てあり」。
君:確かに形カリは副詞ではないわね。形容詞は形容詞。でも形カリが形容動詞でなく、やはり形容詞であるという論拠は?
私:未然形「から・しから」、連用形「かり・しかり」、連体形「かる・しかる」、これが形カリ。この形カリの導入によって形容詞は助動詞に連なる事が可能になり、命令形も出現し「かれ・しかれ」。このため、実は形カリには終止形と已然形が無い。
君:形動ナリと形動タリには終止形も已然形もある。決定的な違いね。
私:「なり・たり・かり」共に活用は似ているし、祖語は「あり有」という共通項があるが、「かり」と比べて「なり・たり」は別格だった。それでも文語の世界では似たり寄ったりの三兄弟といったところだが、口語では「なり」は消滅してタリ活用の一部に組み込まれ、「たり」は「だ・です」に変化し、日本国民なら全員が知っている、中学校で習った活用「だろ・だっ・で・に・だ・な・なら」、その一方「かり」は口語形容詞活用「かろ・かっ・く・い・い・けれ」に生きている事はこれまた中学生なら皆が知っている。この辺の国語の歴史を予想しておられたのだろうか、明治時代はまだまだ文語が幅を利かせていたが、そんな時代の芳賀矢一と吉沢義則の二人の大学者様。日本語という、この僕達が使っている言語、百年後にはどんな言葉になっているのだろう?
君:白鳥はかなしからずや。
私:白鳥は哀しくはないのだろうか。牧水。
君:用言活用いみじうをかしからずや。左七。ほほほ

ページ先頭に戻る