大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

形容詞の語義変化

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私:奈良時代と言えば記紀と万葉、数百の和語動詞が出来て、然も大半が現代語として生きている。ところで各々の意味の変化はどうだろう。簡単にひと言でいうと、つまりはどういう事かな。
君:ほほほ、つまりはほとんど意味の変化しなかった形容詞もあるし、意味がすっかり変わってしまった形容詞もあるので一概には言えません、とでも答えておけば減点のしようがないわよ。
私:まあ、確かにね。そこを敢えて、ご批判は多々ございましょうが、ザクっと考えると、意味の変化しなかった形容詞のほうが多いのかな。古代の日本語の色感覚は「赤白青黒」の四色。その形容詞はそのまま、現代語に通じる。つまりは感覚・感情などの複雑な心理を表現するための形容詞といってもよいが、概念が比較的はっきりしているものの表現については意味があまり変化しない。
君:要はソシュール学的には、形容詞のシニフィエは保守的である、という事ね。具体例がいいわよ。
私:では形ク「あかし明・赤」。古語では、色が赤い・明るいさま・夜明けの空が明るいさま、この三つくらいかな。「あかつき暁」は「あかとき赤時」が語源だ。方言ともなると、飛騨方言では「新しい・おニュー」の意味があり、「あかいべっべ」は「真新しい着物」の意味。色の形容詞の意味の変遷は直感的にわかり易いね。緑の黒髪、意味わかるよね。若さの象徴だ。実は漢語「緑髪」の訓読語。松が青々としている、などとも言う。
君:緑の黒髪、あったわね。そんな時が。
私:国研の全国調査で「アカイ」を「明るい」の意味で使いますか、というのがあった。
君:とんでもない事が判明したのね。
私:その通り。滋賀県・奈良県より西側の全ての府県は「使う」地方、北陸・岐阜県・三重県より東の全ての都道県で「使わない」地方、という事が判明。滋賀・岐阜県境と奈良・三重県境を結ぶ線で真っ二つ。とんでもない言語境界がある事が判明した。
君:なるほど、そんな事もあるのね。但し、現代では幻の境界線ね。
私:また「赤い」の方言量の少ない事。アケー、アッカ程度だ。
君:語義変化の大きい形容詞もあるわよね。
私:ハハハ、マドンナの古文のお出ましだ。入試の山中の山だろう。
君:私ってその辺りは「詳しい」わよ。
私:おっと、そうきたか。形シク「くはし妙・精」。上代の意味としては、非の打ちどころなく美しいさま、という意味だが、全体的な美を表す形容詞ではなく、細かな隅々にまで行き届いた美を言う語で、「かぐはし」「なぐはし」の語根だ。これが転じて中世には形シク「くはし委・詳」が生まれた。これに関連して、「汚い」の意味の方言といえば、小学館・標準語引き日本方言辞典にざっと二百近い音韻が記載されていた。やれやれ
君:罵詈雑言というのは多いのよね。
私:罵詈エーションというんだよ。親父ギャグ。三歳になる孫が「ちんこ」「けつ」という言葉を覚えてしまい、言いたい放題の意味不明語を言って遊んでいる。やれやれ
君:茶魔語ね。
私:下ネタオンパレード、乳児は皆、好きだね。
君:どこのご家庭でもそうよ。ほほほ

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