大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

感情形容詞とは

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私:昨晩は属性形容詞、所謂、形ク、の歴史変遷のお話だった。今日はその対極、感情形容詞、所謂、形シク、についてつぶやこう。要は形容詞にも種類があり、細分類できるという国語学の命題だが。
君:二分類だわよ。
私:そうだね。活用の転ではク活用・シク活用の二分類。これは中学校で習う。というか中等教育じゃここまでだろう。
君:然り。
私:それじゃ面白くない。形容詞は属性形容詞と感情形容詞に二大分類され、前者はク活用が多く、後者にはシク活用が多いという、世紀の大論文、昭和三十年学会誌「国語学(23)」・山本俊英論文「形容詞ク活用・シク活用の意味上の相違について」が出て学会が大騒ぎになった。その後の学問だが、奈良時代は例外が少なく、平安に例外が増加、源氏物語では相当の例外があり、古今にも30%ほどの例外がある、などと言う事が判明した。上古に於ける形容詞の属性における大発見である事は間違いない。でも現代語では例外が大半というようなところかな。
君:つまりは貴方が書いている事はどうでも良い事。良い子の高校生は覚えなくてもいいのよ。
私:まあ、そんなところだが、第一に学術語としての統一性が無い、というようなところが問題だ。二、三の文法書にあたってみたが、感情形容詞、感覚形容詞、情意形容詞、この三者の記載がある。意味するところは同じ。統一して欲しいね。また国語学会(日本語学会)とは別に、日本言語研究会というのがあって、状態形容詞(うれしい、痛い)と特性(特質)形容詞(赤い、丸い)の学術語をお使いのようだ。やれやれ
君:つまりは状態形容詞は感情形容詞の事であり、特性形容詞は属性形容詞という事なのね。
私:まあ、要はそんなところ。やめてほしいよね、言葉のお遊びは。
君:それは貴方の事よ。
私:まあ、そんなところだが、前置きが長すぎた。本題に行こう。感情形容詞には属性形容詞と違って対語がないのではなかろうか。楽しい・悲しい、共に記紀・万葉の言葉で古来からの和語形容詞。高い(奈良)・低い(室町)は高さの程度を示す二つの形容詞であって、チョッピリ高い事を低いというのだが、チョッピリ楽しい事を悲しいとはいわないからね。
君:やさしい・難しい、これは試験問題の程度を著す形容詞で、現代語では対語だわね。
私:ふふふ
君:?
私:全く別の感情だよ。
君:別の?・・あっ、しまった!
私:古代人が使った「やさしい」は現代語とは別の意味。やせる痩からきた言葉だ。他者や社会に心を使って身の痩せる思いがするさまを表す。「ああ恥ずかしい・肩身が狭い・面目ない・きまりが悪い」というような感情を表す形容詞だ。マドンナの講義でよくやってるんじゃないかな。聴いた事は無いが。
君:仰りたい事、わかるわ。感情というのは大変に複雑なものだから、同じ音韻の形容詞が時代と共に意味が変わってしまうのね。
私:要はそういう事。ソシュール学説で説明がつく。要は抽象語、つまり感情形容詞、はシニフィアンが不動でシニフィエが変化する。ただし属性形容詞というものは、要は度量衡、つまりは具体語だ。高低・深浅・広狭・重軽、等々、概念がはっきりしているので時代による変遷が無く、高・深・広・重、でスタートした形容詞が、やがて数世紀後に低・浅・狭・軽、という形容詞を生み出した。
君:でも「財布に優しい」価格となると、面目ない、という感情になるわよ。先祖返りの言い回しかしら。ほほほ

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