大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

形容詞になる名詞

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私:なんだか形容詞に興味を覚えて、先ほどはネット検索をしたり、手元の文法書を読んだり。
君:という事で表題ね。つまりは形容詞の語幹は全てが名詞であるが、逆は必ずしも真ならず。形容詞の語幹になり得ない名詞もある。そんな事、小学生でも知っているわよ。
私:早速に。「おとな」という名詞があり、「あなたはもう大人だ」とも言うし、「あなたはおとなしい」とも言う。
君:「おとなだ」は形容詞じゃないかな、とでも言いたいのね。
私:その通り、大人であるか子供であるか、は程度問題。ところが「あなたは机だ」は成立しない。理由があるはずだ。
君:机は物質名詞で、大人は抽象名詞よ。抽象名詞が形容詞の語幹になり、物質名詞はなれない。
私:でも、例えば「あなたは岐阜県人だ」は日本語として成立する。これはどうだろう。
君:青春時代が石川県でも人生の大半が岐阜県なら岐阜県人ね。やはり程度の問題。
私:「岐阜県人」が形容詞の語幹になり得ない理由は。
君:それも簡単、感情が伴うかどうか、という事でしょ。
私:確かにね。「俺は田舎出だ」と言えば極めて複雑な感情が伴うね。形容詞の下位分類、ってのだよね。感情形容詞とか、感覚形容詞とか言う。確かに感情を示す名詞と感覚を示す名詞は例外なくレ形容詞語幹になり得る。その一方、「岐阜県人」は属性名詞。ところが「赤白青黒」や「大小・長短・広狭」等々、これらは全て属性名詞で形容詞語幹になる。つまりは属性名詞でも対立概念が無ければ形容詞語幹にはならない、という事でいいんじゃないか。「都会人・田舎出」は対立概念だ。飛騨方言では「町の衆・ざいごさ在郷左」。
君:あなた、田舎出という事に相当の複雑な感情をいだいているのね。
私:いや、そんな事は全然・・・・・・ある。おおいにあるね。カミングアウトするのは勇気がいる。沖縄の人々が「うちなんちゅ・やまとんちゅ」という言葉をお使いになるのは形容詞的な使い方ではないか、と推察する。
君:なるほど、両語のそれぞれには感情と感覚が伴う複雑な心理学がからむのね。
私:その通り。ところで「大阪のおばちゃん」という言葉があり、日本人の大半は、この大阪という言葉に共通のイメージというか、感情をいだいている。従って当然の結果として「大阪らしい」という形容詞も生まれてくるわけだ。
君:「岐阜らしい」とは言わないから、岐阜と言う名詞には属性があっても感情・感覚が伴わないのよね。
私:お後が宜しいようで。これは「寄る」の派生語「よらし」の転。
君:なるほど。万葉3435、つまり意味は愛する人が近くにいる事。それはもう感情爆発だわね。ほほほ

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