大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

ソシュール学説

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私:形容詞にちなんでソシュール学説を説明すると、真っ先に思い浮かべられるのが形ク「かわいい」。
君:言語学一般のお話かしら。あるいは飛騨方言のお話?
私:両方です。当サイトで繰り返し取り上げたテーマなので、左七の考えにピーンと来る読者様は今夜は収穫無しです。おやすみなさい。
君:では、まずはソシュールの説明ね。
私:うん。19−20世紀にかけての言語学者、20世紀構造言語学の基礎を作った人。
君:言語学の父ね。
私:そう。「一般言語学講義(1916)」の著書が有名。聴覚心像(シニフィアン、表すもの)と概念(シニフィエ、表されるもの)から成る言語記号とその恣意性を説いた。「イヌ」というシニフィアンがあり、そのシニフィエは、あの誰もが知っている四つ足の愛玩動物。日本語で「イヌ」といい、英語で dog と呼ぶことに恣意性は無い。
君:方言は話し言葉なので、書き言葉じゃないわよ。シニフィアンとの関係は?
私:ここは学問の場(うそ、エンタメサイト)です。好き勝手に表記をすればいいってもんじゃない。全ての日本語の表記は法令規則に従って記載、出版する事になっている。くぎり記号の使ひ方「句読法」、文部省編「表記の基準(昭和25)」があり、音声記号としては、長音記号、濁点、半濁点を定義、例えば豆腐は「トーフ」と仮名表記するのがシニフィアン。当サイトではこの原則に従わず、日本人になじみが深い平仮名表記「とうふ」を主に用いている。五歳になる孫が絵本を読み始めた。「とうふ」と書いて「トーフ」と読ませる。全国の読者の皆様、左七お爺ちゃんの苦労をご想像くださいませ。
君:ほほほ、でも概念(シニフィエ)については説明は必要なさそうね。ところで形ク「かわいい」は本当なら「カワイー」なんでしょ。
私:そうなんだが、じゃあ早速にこの形容詞のお話を始めよう。飛騨ではこの形容詞を「可哀そう」の意味で用いる事がある。特に古い世代。
君:その辺りの理屈の説明ね。簡単なほうがいいわよ。
私:以下の通り。平安時代の中央で「かほはゆし顔映」が誕生、自身の顔がチクチクと刺激され、相手を見ていられない様を示す形容詞。これが、かははゆし・かはゆし・かはいい、と変化してきた。
      平安      日葡    江戸       現代
中央・飛騨 かはゆし愛・哀 かはいい哀 かはゆらし愛(形シク) かわいらしい愛−−(形シク)
中央・飛騨 かはゆし愛・哀 かはいい哀 −−−−−−−−−− かわいそうだ哀−−(形動)
中央    かはゆし愛・哀 かはいい哀 −−−−−−−−−− かわいい  愛−−(形ク)
飛騨    かはゆし愛・哀 −−−−−−−−−−−−−−−− かわいい  愛・哀(形ク)。
君:なるほど、「かほはゆし」から「かわいい」までがシニフィアンの変化ね。
私:その通り。但し、感情というものは複雑なもの、つまりは現代語では「かわいらしい・かわいそうだ」の二つの意味に分裂しつつも、「かわいい」も用いられ、それは専ら「かわいらしい」のシニフィエに限定されている。
君:つまりは飛騨方言は平安からシニフィエが変化せず。
私:その通り。中央語としてはシニフィアンもシニフィエも変化した。
君:つまりは中央と飛騨ではシニフィアン「かわいい」は共通だけれど、シニフィエが異なるので、中央から見た飛騨方言は可笑しな言い回しという事になるのね。こんな評価では飛騨方言が可哀想な方言、と言うか、かわいい方言ね。ほほほ

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