大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

動詞と形容詞の不思議な関係

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私:学べば学ぶほど、これでいいのか学校文法、というお話になってしまう。ごめんね。
君:そんな事はいいから。動詞と形容詞は紙一重、或いは同じようなものです、という結論にしたいのね。具体例は?
私:楽しい、楽しむ、両語にどれだけの意味の違いがあるというのだろう。形シクたのし楽、は記歌謡54、動バ四たのしぶ楽、は名義抄(平安)。従って形容詞から動詞が派生したのは明らか。形シクかなし悲、万葉793、動バ上二かなしぶ悲、は万葉4408で同時代のようだ。形シクうれし嬉、は万葉4284、動バ上二うれしぶ嬉、は万葉4154で、これも同時代。
君:全ての形シクは対応するバ行動詞がありそうだ、とおっしゃりたいのね。
私:うん。そのお遊びを始めたばかりだが、立ちどころに例外を発見。形シクさびし寂、動バ上二さぶ寂。さびしぶ、とはならないようだ。
君:取り留めのない話ね。
私:また、平安時代に接尾語ラ四がる、の用法が始まって現代に至る。楽しがる(たのしげあり)、悲しがる、嬉しがる、さびしがる。この語源については名詞げ気+補動ラ変あり有、というのが定説らしい。つまり例えば、かなしげある、が、かなしがる、に音韻変化した。ク活用でも、さむけあり・さむがる寒、つよけあり・つよがる強、が現代語としてあるものの少数派でしょう。その一方、全ての形シクは接尾語「がる」によって動詞化出来るのかも知れないね。
君:現代語としては「うれしがる」とは言うけれど、「うれしむ」とは言わないわね。
私:悲しむ、悲しがる、これは両方ありなので、今の僕の頭は大混乱状態です。ただし、たったひとつ言える事がある。
君:ほほほ、初めに形容詞ありき。形容詞が出来て、それに対応する動詞が出来た。
私:その通り。それにもうひとつ、古代人の発想は、形容詞は動詞化したかったけれど、動詞を形容詞化しようとは思わなかった、という事じゃないのかな。要は形容詞の下位分類には情意があるけれど、動詞の下位分類に情意のカテゴリーが無いから、そもそもが動詞を形容詞化する意味が無い。接尾語「がる」の本質が「げあり気有」となると、形シクに存在の有無のみならず、アスペクト、ヴォイス(能動、受動)、テンス、可能動詞表現、等々、形シクに動詞の機能を簡単に追加する事ができる。これは便利だ、という事で動詞が増えたのが平安だったのでしょう。その辺りの畿内文法を受け継いでいる飛騨方言です、というのが今夜の結論。
君:左七は楽しい、には表現の限界があるけれど、左七は楽しがる、のほうが使い勝手がいいのよね。楽しがっている(アスペクト)、楽しがらせる(能動)、楽しがらされる(受動)、楽しがろう(楽しく思うであろう)、楽しがれる(可能)、のように変幻自在ね。ほほほ

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