大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 

属性形容詞の対語の歴史的関係

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私:毎日、何かひとつ書かなくては。生きている証。表題だけれど、どう思う?
君:形容詞の二大分類が属性形容詞(形ク)と感情形容詞(形シク)よね。形クの対語と言えば、大きい・小さい、とか。
私:そう。「うわあ大きい・ちぇっ小さい」などと言うが、感情表現と考えてはいけないわけだ。昭和三十年学会誌「国語学(23)」・山本俊英論文「形容詞ク活用・シク活用の意味上の相違について」。大変な注目、国語学会が騒然としたそうだ。僕は二歳だった。ぶっ
君:ほほほ、私こそまだ生まれていないわ。
私:早速に本題だが、高しは奈良時代だが、低しは室町時代から、という事を書いた事がある。ここ
君:意外よね。鎌倉時代までは「高くない」と言っていたという事よね。
私:そうなんだよ。ところで二日前だったかな、地蜂の事を飛騨方言でジスガリといい、万葉集でも地蜂はスガル酢軽という事をお書きした。
君:ほほほ、奈良時代にカルシ軽という形容詞があった事が証明されたわね。
私:そうなんだよ。ただしカルシ・カロシが文献的に出てくるのが平安から。奈良じゃないんだ。
君:ほほほ、じゃあオモシ重はどうなの?
私:当然の疑問だね。万葉集897。内容は割愛、ゴメンネ。
君:重い(奈良)・軽い(平安)という事で、高い(奈良)・低い(室町)と合わせて考えると結論が見えてくるわね。
私:その通り。現代語では必ずといってよいほどの対語の属性形容詞だが、実は成立年代に相当の開きがあって、然も一定の法則すら導く事ができる。ご興味ある方はご自身でお調べあれ。「長し・短し」、「広し・狭し」、「深し・浅し」、これらは皆、成立年代が違うんだ。という事で、結論は君がどうぞ。
君:ほほほ、これは小学生でもわかるわね。対語の属性形容詞は属性が甚だしいものがまずは現れて、数世紀近くの後代に属性の甚だしくない形容詞が全くの別の音韻で出現した、これが日本語の形容詞の歴史という事ね。
私:正にその通り。ただし、重い・軽い、に関しては共に奈良時代であり、ほぼ同時期といってもよかったのかな。二日前に飛騨方言ジスガリ・和語「スガル酢軽」を書いた後にフト、思った。
君:飛騨方言に関しては何といっても上代語・和語の時代について思いをめぐらすとロマンスを感じるわね。
私:そうなんだよ。例えばさ、飛騨方言じゃ体が疲れる事を「てきない」と言うだろ。これも属性形容詞には違いないが、ただし対語は無いぜ。
君:確かにそうね。「てきない」の対語は「楽です」でしょ。何か理由があるのかしら。
私:語源を考えると結論が導かれる。
君:「てきない」の語源?
私:近世語である事は判明している。よく似た全国共通方言に「ずつない」がある。この言葉の語源論は各種あり、せつない・じゅつなし術無、等。ところが「てきない」は飛騨の俚言にて語源は不明。だから左七が思いつかないで誰が思いつくのか、の気概で一年以上、考え続けた。個人的には「大儀な」の品詞の転成じゃないかと思う。然も「てきない」に対語が無いのは形容詞の歴史がまだ浅いからじゃないのかな。
君:近世から現代に至るまで「てきない」の対語のはまり言葉がなかなか見つからなかったという事を言いたいのね。ほほほ
私:ああ、言いたい。飛騨方言についてあれこれ想像するのは自由だ。
君:案外、若者言葉で近い将来に、然も突然に対語の形クが出現するかも知れないわよ。例えば「らくい楽」とか、「らくしょい楽勝」とか。ほほほ

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