大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

飛騨方言から撥音便が消失しつつある理由

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飛騨方言にも古風、老人風つまりは強烈な言い方もあれば、 今風、若者風いわゆるマイルドな言い方もありましょう。 撥音便を使えば使うほど飛騨方言らしくなります。 つまりは飛騨方言では老人は撥音便を用い、 若者はあまり用いなくなってきているのではないでしょうか。

代名詞・なに、について考察してみましょう。女性は
なにえな?(=なにかしら?)
と普通はいい、"なんえな?"とはあまり言わなくなってきているような気がします。 それでも男性は普通は"なんやい?(=なにかい?)"と言い、 "なにやい? "とは決して言わない気もするのですが。

撥音便を用いないと都合のいい点があります。"太郎さんなにえな"、といえば、"太郎さん、ねえなにかしら" という意味になりますし、"太郎さんなんえな"、といえば、太郎さんなのえな、つまり、 太郎さんなのよ、という意味にもなり得ますので、 "なに"という言葉を出す事により、疑問文である事が はっきりします。

この点、男性が"花子さんなんやい"と話す場合は、 花子さんなにですか、という疑問文なのか、 花子さんなのです、という肯定文かわかり辛い同音異義文に なるという事です。 もっとも飛騨の男性はアクセントで使い分けます。 な、が強アクセントなら疑問文です。

さて広辞苑にある、なに〜、の単語を内省してみましたが、 撥音便・なん〜、といったほうが飛騨方言らしいと 感じた単語は約半数でしたが、撥音便としなくても 飛騨方言としてさほどに不自然に感じなかったのが 意外でした。共通語で、なん〜、の単語は飛騨方言でも すべて撥音便である事は書かずもがな。

本題になりますが、飛騨方言で撥音便がすたれつつあるのは なに・なの、の両撥音便の意味の混同を嫌ってという理由では ないでしょう。男性はアクセントの違いで上手に使い分けています。 最大の理由はやはり学校教育、マスコミの影響によりましょうが、 もうひとつ隠れた理由は実は、歌の影響ですね。 たいていの歌詞は、なにも♪、なにゆえ♪、なにさ♪、なにか♪、なにかしら♪、なにがなんでも♪ 等々の共通語歌詞ですが、なんも♪、なんでえ♪、なんや♪、なんか♪、なんかしら♪、なんがなんでも♪ 等々の大阪ブルース系歌詞、実は飛騨方言そのもの、はマイナーですものね。 やっぱりなあ撥音便丸出しの飛騨方言ってのぁあ、ちょうっとダサイんでねんがなあ、 まちがえ、ダサイのではないのかしら。 しゃみしゃっきり。

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