共通語においても格助詞・の、の撥音便が時にみられますし、
飛騨方言とてまあ多分に同じ現象であろうと推察されますので、
面白くも、可笑しくもない議論ですが、その昔実に四十年ほど前、テレビの
コマーシャルで、誰んだあ?彼んだあ!永谷園のカレンダーふりかけ!というのを
桂小金治さんが言っていました。そのコマーシャルを知らない方でも意味は
容易に判りますね。誰のだ?彼のだ!という意味でこれが、ん、に置き換わるのが撥音便です。
また格助詞の説明ですが、体言に接続して後続する品詞に意味を与える、
というような説明が多いのではないでしょうか。ところで、だ?も、だ!、も
断定の意味の助動詞です。そしてこの品詞は体言に接続します。
つまりは、前期の短文は、誰のものだ?彼のものだ!という表現を省略した
物だという事になります。
以上が前置きで、各論に移ります。
尚、本文では撥音便になることを記号(+)で、ならない事を記号(-)で表記します。
●動詞の連体形に接続する場合
共通語では(-)あるいは(+)、飛騨方言では普通は(+)。
例えば、写るのだ、写るんだ vs 写るんやぞ。
●動詞の未然形+否定の助動詞・ぬ、に接続する場合
共通語では(-)あるいは(+)、飛騨方言は必ず(+)。
飛騨の人は"ぬの"が言いにくいのですね。
例えば、写らぬのだ、写らんのだ vs 写らんのやぞ。
●動詞の未然形+否定の助動詞・ない、に接続する場合
共通語では(-)あるいは(+)、飛騨方言は普通は(+)。
例えば、写らないのだ、写らないんだ vs 写らないんやぞ。
●形容詞の連体形に接続する場合
共通語では(-)あるいは(+)、飛騨方言では普通は(+)。
例えば、赤いのだ、赤いんだ vs 赤いんやぞ。
●指示代名詞に接続する場合
共通語は一般的には(-)だが時に(+)、例えば上記のTVコマーシャル。
飛騨方言は必ず(-)です、(+)にはなりません。
例えば、だれのだ?、だれんだ? vs だれのや?
ところが面白い事に、飛騨方言では私の家のことを、おらんどこ、と言います。
俺の所が転じた言葉でしょう。がしかし飛騨方言では決して、おらの、とは言わないのです。
同じく飛騨方言に、おらんまり、があります。
俺の周りという言葉が転じたものであり、私の周辺・近辺、という意味です。
例えば、おらんどこのや(私の家の(所有)です)、という飛騨方言の言い回しがありますが、
撥音便の観点からは何とも早、不可解すぎる現象です。
同じ格助詞なのに面白いですね。
●"ん"で終わる一般名詞に接続する場合
当たり前の事ですが、共通語、飛騨方言ともに必ず(-)です。
例えば、お前さんのだ vs お前さんのや
●ア行で終わる一般名詞に接続する場合
共通語、飛騨方言ともに一般的に(-)。
例えば、アジアのだ vs アジアのや、
協会のだ vs 協会のや、
銀行のだ vs 銀行のや、
塗り絵のだ vs 塗り絵のや、
顔のだ vs 顔のや。
●上記以外の一般名詞に接続する場合
共通語では(-)あるいは(+)、飛騨方言は必ず(-)。
例えば、お前のだ、お前んだ vs お前のや
こうしてみますと、やはり飛騨方言は独自の撥音便系、
共通語とは別言語である事が判りますね。畿内方言とも明らかに異なりまんねん。
な、面白いろ(ねえ面白いでしょう)
でも一部の方には面白くもないんやろ( 〜ないのでしょう )。
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