私は生まれも育ちも久々野町大西、家内は生まれも育ちも名古屋駅のすぐそば、ですが、
岐阜県と愛知県は東京式アクセントなので、東京語を覚えるのはスイスイ、
つまり上京して三日もすれば、言葉だけは東京人になりすましちゃうんですね。
でもそんな名古屋人・私の家内と飛騨人・佐七が毎日会話をしていて、
ちょっとあなたそのアクセントないでしょ、なんて奥方に注意を受ける事が極まれにあります。
あれっそうかい、なんてアクセント辞典を引くと家内の指摘通りの事が多く、
つまりはアクセントにおいては飛騨方言よりも名古屋方言が東京語に近いのでしょうね、おそらく。
東海道のアクセントと東山道のアクセントがチト異なるという事なのでしょうよ、
どうでしょうか、東条操先生。
前置きはさておき、
吊るす○●●、
散らす○●●、
退かす○●●、
無くす○●●、
抜かす○●●、の
アクセントですが、確かに筆者はこのように発音しますが、
内省すると○▼○でも
なんとなく飛騨方言のセンスにあっているような、不思議な気持ちになってしまうのです。
内省をひたすら十五分も行うと最後は何がなんだかわからなくなって、
○●●・○▼○共に飛騨方言じゃないか、と
思ってしまうのです。
そしてこれらサ行動詞がイ音便となると、
吊るいで○●●●、
散らいで○●●●、
退かいで○●●●、
無くいで○●●●、
抜かいで○●●●、
となるのがつまりは正統派の飛騨方言アクセントなのでしょうが、
内省するとこれら三拍サ行動詞終止形が、○●●・○▼○、
でゆらいでいますので、
結局はそのイ音便も内省すると、○●●●・○▼○○、で揺らいでしまうのです。
むなしや内省実験、ええかげんなもんや、こんなゲバイタやり方は。
(ところでこれも三拍動詞でサ行イ音便なのよ。しかも俚言。ふふふ。)
でも、このアクセントの揺らぎも飛騨方言の七不思議なのでしょうね。
真実はどうなのでしょう。私はとても興味が沸きます。
だから私が生涯をかけて飛騨の村々をまわって何百人もの方の話を聞きまくれば
それなりの答えがでるのでしょうねえ。
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