大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 音韻学 |
連濁とは |
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私:今まで音韻学と音声学をごっちゃに考えて記事を書いてきたが、この際はキチンと分けて書こうと思い、連濁に対する僕の気持ちに整理がついた。 君:学会の発表と同じ。初めに結論すべき。その気持ちとやらを一言でお願いね。 私:連濁は音韻学の問題であって、音声学の問題ではない。以上。 君:では、もう少し具体的にどうぞ。 私:はいはい。そもそもが音韻学とは言葉、つまりは発音の文化の事。当サイトの命題、つまりは飛騨方言の音韻学とは当方言には音文化がいったい幾つあるのだろう、と問う事。既述の繰り返しにはなるが、萩原町上呂にアサンズという音韻がある事を知った時は本当に驚いた事が今となっては懐かしい。一方で、音声学とは何か、これは有声音と無声音の違いとか、人間が言葉を発する仕組みはどうなっているのだろう、と医学的生理学的に考える事。 君:回りくどいわね。連濁の成因として有声音に挟み撃ちされた無声音という説があるけれど、嘘ではないかと思い始めたという事ね。 私:その通り。 君:具体例をお願いね。 私:連濁とはそもそも二語の複合語の後方成分の語頭がカサタハの行の場合に濁音化する事。ただし、連濁にはあまりにも例外が多く、規則と呼べるようなものではない、というのが僕の結論。連濁とは日本語という言葉の文化そのものであり、決して生理学的現象ではない。つまりは言いやすさの問題ではない。結局は音声学の問題ではない。 君:連濁はライマンの法則とも言うわね。 私:例えばライマンの法則の例外について 連濁形「−バシゴ(梯子)」を後部成素とする複合語を中心に。 君:細かくお調べだけど。 私:素人の怖い所、失うものは何もない。言いたい事は言わせていただこう。freedom of speech. つまりはライマンは明治の一外国人であって、決して日本語全てについて精通していたわけではない。たまたま、当時の幾つかの濁音のルールに気づいて論文を書いた。日本語の世紀の大発見を外国人に越されたとばかりに当時の日本人国語学者さん達がライマンに続けとばかりに連濁を音声学の問題と解釈してしまいのめり込んでいった。それだけの事でしょう。さて良い子の国語教室のようなお話で恐縮だが、パンダちゃんの名前と言えばカンカン、サンサン、タンタン、ハンハンなどが如何にもありそうな名前だよね。 君:パンダちゃんの名前ならカンガンとか、連濁は決して生じないわね。 私:そういう例外は無いという事だ。当然ながら、パンダのなまえは清音に限るという音韻の規則はある。 君:でも、やんちゃな名前としてガンガンがありそうな気もするけれど。ガンカンは有り得ないわね。 私:女性の名前にして然り。栄子、恵子、聖子・・。 君:英語、敬語、生後・・は有り得ないわね。女性の名前は清音で決まり。つまりは規則有りね。その一方で、ちのみご、いとしご、いじめっこ、むすこ、・・これは規則無しね。つまりはひとつひとつ覚えるしかないわけね。ほほほ |
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