大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム

だっしゃもない顔

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私:この飛騨方言の言い回しは、みっともない顔、という意味。今回のテーマはメタ言語。
君:メタ言語とは?
私:高次言語ともいうね。言語を使って言語について語る事。赤ん坊、幼児が、おなかがすいた、という場合、これは単に言語を使って思想を表明しているだけであり、これは対象言語という。その一方、メタ言語とは、それは言葉に表せないような光景でした、なんていう言い方。他に例はいくらでもある。英語を日本語に訳すという作業は、対象言語たる英語をメタ言語化して日本語で表現する作業だ。他には、丸い三角って論理的にあり得ないよね、なんてのもメタ言語に属すると思う。
君:では、だっしゃもない顔、とは?
私:飛騨方言・だっしゃもない、は対象言語的には、乱雑だ・散らかっている、という意味の句。語源は、らっちもなし。らっち、というのは不埒の埒ではなく、らっし搦氈E臘次。物事の順序、次第。ろうじ。
君:らっちもなし、は文字通り、散らかっているという意味ね。
私:そう。散らかっている顔、という表現は、不細工とか、おひげ茫々とか、要は端正な顔つきでない事の例え。つまりはメタ言語。
君:なるほど。だっしゃもない人生、などと言えば、破天荒な人生という意味になるわね。
私:うん。正統派じゃない生き方、ふしだらな人生、というような意味。これらが自由に駆使できると飛騨方言検定は合格。
君:要は比喩表現はメタ言語なのね。そもそもが、だっしゃもない顔、などという罵詈雑言なんて覚える必要はないわよ。 ほほほ

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