大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム |
おれんようになる |
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私:表題だが、いられなくなる、という意味の飛騨方言。 君:いられないようになる、という事ね。つまり、飛騨方言・おれん、は共通語・いられない。 私:そう。存在の動詞いる(東)・おる(西)は明確な東西対立があり、飛騨は京都・大阪と同じです。飛騨方言・やっとれん、は共通語・やってられない。 君:対応があるから同じ文法という事ね。意味もおなじかしら。 私:そう。いられなくなる、とは、立場を悪くしてしまって同じ所に留まるのが困難になる、という意味。 君:例えば汚職の議員、社内での不倫、等々。 私:ひとつ問題がある。 君:何? 私:実は、いられなくなる、は多義語的な語法だ。 不安や心配などで心が安定しなくなること飛騨方言の、おれんようになる、は、これ等の何れとも意味が異なり、モラルに抵触して追いつめられる、という嘲笑的な意味を持つんだ。つまり、意味は限定的。他人の不幸は蜜の味、という意味でもある。 君:こわいわね。 私:うん。閉鎖社会のなせる業。究極の形が村八分。 君:どこの社会にでも共通だわ。学校という子供の世界でも。 私:人間の業という事だね。そんな僕だって、人生を振り返って、嗚呼・あの時にあんな事を言わなければよかったのに、と思うことばかり。こうやって方言の事をのんびりと書いてはおれんような気持ちになるんやさ。 君:命長ければ恥多し。これも人類共通よ。ほほほ |
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