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大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 日本童謡の飛騨方言訳 日本の童謡の飛騨方言訳 戻る
私も幼い頃、少しわらべ歌を歌いましたが、実はあまり記憶がなくて、歌詞が
あやふやで、情けなく思っています。
小学生時代は、よく男女とも、また低学年と高学年が混ざって遊んだものです。
縄跳び、だるまさんがころんだ、等々ですが、トントントンカラリの隣組なども
よく歌いました。これについては思い出せる限りお披露目したいと思っています。
さて、飛騨を代表するわらべ歌といっても困ってしまい、取りあえず
日本の代表的わらべ歌、童謡などを飛騨方言で歌うとどうなるかと思い、
気まぐれに編詩してみました。
語数があわないと、歌えませんし、何とか飛騨俚言が入りませんと雰囲気が出ませんが、
(飛騨生まれ育ちの私が!)まずは語彙を鍛えて、実は、
あとはただ単に逐語訳すればよい訳で、比較的、楽で有意義な作業となりました。
最大の問題はもともと話し言葉、口伝えである方言の表記法、そして語彙の選択でしょうか。
あれこれ変える事もあろうかと思いますが、ご容赦ください
(1)とおりなさい、の撥音便 ;
原詩「とおりゃんせ」
わらべ歌、埼玉県川越市方言
とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ
ごようのないものとおしゃせぬ
このこのななつのおいわいに
おふだをおさめにまいります
いきはよいよい、かえりはこわい
こわいながらも
とおりゃんせ とおりゃんせ
飛騨方言訳「とおりんさい」
大西佐七編詩
とおりんさい(1) とおりんさい
ここぁどこのほそみちや
くまのじんじゃ(2)のほそみちや
ちょっととおしてくらたらなあ(3)
ごようのないものぁとおさんぞ
おらんこ(4)のななつのおいわいに
おふだぁおさめにまいるんやさ
いきゃよいよい、かえりゃこわい
おそがいんや(5)けど
とおりんさい とおりんさい
(3)くださったらなあ ;
(4)おれのこ(女性も用います) ;
(5)おそろしいんだ.
どうせ歌うにしても意味を考えながら歌うと味わいが違いますね。
飛騨方言でも、ほそみちじゃ、といいます。
"じゃ"は実は"である"が訛った言い方で、
川越方言というよりは寧ろ共通語であるといったほうがよいのじゃないじゃろか。
どこが飛騨方言らしいかと申しますと、主語に "が" がない事。これだけで、もう完璧な飛騨方言です。
"はーるぁーきーたー"と歌ってください。また、"はーな、ぁさーくー"と歌えばいいと思いますが、
"花、ぁ"とせず、"花ぁ"としたのは、詩の表現という意味で、音声記号ではないからなのですが。
更には、"鳥が" ですが、
俺は というのを飛騨方言で おりゃ と言いますので、"とーりが" は "とーりゃー" と歌ってください。
原詩「春が来た」
岡野貞一作曲、高野辰之作詞
春が来た 春が来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花がさく 花がさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく
鳥がなく 鳥がなく どこでなく
山でなく 里でなく 野でもなく
飛騨方言訳「春ぁ来た」
岡野貞一作曲、高野辰之作詞、大西佐七編詩
春ぁ来た 春ぁ来た どこに来た
山に来た 里に来た 野にも来た
花ぁさく 花ぁさく どこにさく
山にさく 里にさく 野にもさく
鳥ゃなく 鳥ゃなく どこでなく
山でなく 里でなく 野でもなく
そういえば言葉遊びでたぬきの「春が来た」を歌おうという事で、はーるがきー、はーるがきー、と
歌いませんでしたか。飛騨方言の「春が来た」は実は "がぬき"の歌でした。
原詩「雨ニモマケズ」
宮沢賢治[1896-1933]
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラツテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジヨウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ陰ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ツテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ツテソノ稲ノ束ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ツテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクワヤソシヨウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボウトヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハ
ナリタイ
飛騨方言訳「雨ニモマケンズト」
大西佐七編詩
雨にも負けんずと
風にも負けんずと
雪にも夏の暑いにも負けん
じょうぶいからだをもって
慾はのうて
決して怒らんように
いっつも静かに笑っとる
一日に玄米四合と
味噌とちょびっとの野菜を食って
なんでもかんでも
自分を勘定に入れずに
よう見聞きして分かって
そんで忘れんで
野原の松の林の陰の
ちんびくさい萱ぶきの小屋におって
東に病気のでっちがおりゃ
行って看病してやってよ、
西に疲れとるかかさがござりゃ
行ってその稲の束を負ってよ、
南に死んでまいそうな人がござりゃ
行っておそがいこたないで、っていって
北に喧嘩や訴訟がありゃ
げばいた事やでおいとけよ、っていって
かんかんでりの時ゃ涙を流いで
さぶい夏にゃおろおろあるって
みんなにくそだあけって呼ばれて
褒められもせんで
苦にもされんで
そうゆうもんに
おりぃや
なりたいんやさ
原詩「あんたがたどこさ」
わらべ歌
あんたがた何処(どこ)さ 肥後(ひご)さ
肥後何処さ 熊本さ
熊本何処さ せんばさ
せんば山には 狸(たぬき)がおってさ
それをりょうしが てっぽで打ってさ
煮てさ 焼いてさ 食ってさ
それを木の葉で チョッとかぶせ
飛騨方言訳「わりぃだちゃどこやい」
わらべ歌
わりぃだちゃどこやい 飛騨(ひだ)やさ
飛騨何処やい 岐阜やさ
岐阜何処やい 乗鞍やさ
乗鞍山にゃあ 狸(たぬき)がおってなぁ
それをりょうしが てっぽで打ってよぉ
煮てよぉ 焼いてよぉ 食ってよぉ
そいつぉ木の葉で チョッとかぶしょ
原詩「うさぎとかめ」
石原和三郎作詞・納所弁次郎作曲
「もしもし かめよ かめさんよ
せかいのうちに おまえほど
あゆみの のろい ものはない
どうして そんなに のろいのか」
「なんと おっしゃる うさぎさん
そんなら おまえと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どちらが さきに かけつくか」
「どんなに かめが いそいでも
どうせ ばんまで かかるだろう
ここらで ちょっと ひとねむり」
グーグーグーグー グーグーグー
「これは ねすぎた しくじった」
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
「あんまり おそい うさぎさん
さっきの じまんは どうしたの」
飛騨方言訳「うさぎとかめ」
大西佐七編詩
「こりゃこりゃ かめなあ かめさんなあ
せかいのうちに わりぃほどに
あゆみの とろい ものはおらん
どうして そんねぇ とろいんや」
「なんてぇ そうんや うさぎさん
そんなら わりぃと かけくらべ
むこうの 小山(こやま)の ふもとまで
どっちが さきに かけつくよ」
「どんねぇ かめが いそいでも
どおせ ばんまで かかるやろ
ここいらで ちょっと ひとねむり」
グーグーグーグー グーグーグー
「こりゃあ ねすぎや げばいたわい」
ピョンピョンピョンピョン
ピョンピョンピョン
「あんまり おそいえな うさぎさん
さっきの じまんは どしたえな」
原詩「五木の子守唄」
熊本県民謡
おどま盆ぎり 盆ぎり
盆から先ゃ おらんど
盆が早よ来りゃ 早よもどる
おどまかんじん かんじん
あん人達ゃ よか衆(しゅう)
よかしゃよか帯(おび) よか着物(きもん)
おどんが打死(うっちん)だちゅて
誰(だい)が泣(にゃ)てくりゅきゃ
裏の松山 蝉(せみ)が鳴く
蝉じゃ ごんせぬ
妹(いもと)でござる
妹泣くなよ 気にかかる
おどんが打死(うっちん)だば
道端(みちばた)いけろ
通る人ごち 花あぎゅう
花はなんの花
つんつん椿
水は天から 貰い水
飛騨方言訳「大西郷の子守唄」
岐阜県民謡ではありません
おりぃは盆まで、盆まで
盆から先ゃおらんさ
盆が早よ来りゃ 早よもどる
おらんちゃこわぃ、こわぃ
あの人だちゃ ええどこ
ええどこぁええ帯 ええ着物
おりぃが死んでまっても
だりゃあ泣いてくりょか
裏の松山 蝉(せみ)が鳴く
蝉じゃ ないんやさ
妹(いもと)なんやさ
妹泣くないな 気になるで
おりぃが死んでまやぁ
道端(みちばた)いけれ
通る人だちゃ 花やるさ
花はなんの花
つんつん椿
水は天から 貰い水
原詩「どじょっこふなっこ」
東北地方わらべうた・
岡本敏明作曲
春になれば 氷(しが)こも解(と)けて
どじょっこだの ふなっこだの
夜が明けたと思うベナ
夏になれば 童(わらし)こ泳ぎ
どじょっこだの ふなっこだの
鬼(おに)こ来たなと思うベナ
秋になれば 木(こ)の葉こ落ちて
どじょっこだの ふなっこだの
舟(ふね)こ来たなと思うベナ
冬になれば 氷(しが)こも張って
どじょっこだの ふなっこだの
天井(てんじょ)こ張ったと思うベナ
飛騨方言訳「どじょうだちふなだち」
飛騨地方わらべうた(ではありません)・
大西佐七編詩
春になりゃあ こおりもとけてよ
どじょうだちゃ ふなだちゃあ
よさりぃが明けたって思うんやさ
夏になりゃあ でっちどもぁあべて
どじょうだちゃ ふなだちゃあ
鬼(おに)が来たぞって思うんやさ
秋になりゃあ きのはっぱ落ちてよ
どじょうだちゃ ふなだちゃあ
舟(ふね)が来たぞって思うんやさ
冬になりゃあ こおりも張ってよ
どじょうだちゃ ふなだちゃあ
天井(てんじょ)が張ったって思うんやさ
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