大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言 You Tube Contents |
1975-1990 カゴメCM集 |
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お忙しいおかたは全部をご覧になる必要はないかもしれませんね。飛騨方言に関する部分ですが、2:03からの部分、田舎のおばちゃんが広いほうれん草畑の真ん中で、「こうたろう、野菜をどっさりとらにゃあ、だちかんぞ。」にご注目ください。これは明らかに飛騨方言です。忘れもしません、私が大学生時代のカゴメCM集でした。ところで、私が名古屋大学医学部を卒業したのが1978年3月でした。従ってこの飛騨方言バージョンのカゴメCMが放映されたのは1977年秋だったかと思います。当時、下宿生だった私ですが、勉学の合間にテレビのスイッチを入れると、おっ・飛騨方言のコマーシャルか・ははは・こりゃ傑作だ・という認識しかなかったのですが、正月に地元、岐阜県の当時は大野郡久々野町、現在は高山市久々野町に帰省したのですが、地元・久々野町には小学校からの竹馬の友・※畑勉という男が地元の高校を卒業し、高山市で就職していたので町の一杯飲み屋で酒を飲みかわす事があったのです。私共は1953年の生まれですから社会人の彼も大学生の私もとっくに成人です。以下、彼との会話、場所はこれも同じく同級生の女子・西本の実家の飲み屋、という設定で。 私:おい、勉、名古屋の下宿で飛騨方言のCMやっとったぞ。わりぃも知っとるろ? 勉:知っとるなんてもんでない。久々野の町中、大騒ぎやさ。 私:えっ?大騒ぎ?若しかして、CMのおばちゃんて、久々野の人か?!! 勉:そうやさ、あの人ぁ唐谷(からたに)のお袋さんや。 私:えっ!でも「はるひこ、野菜をとらにゃ・・」やなかったぞ。 勉:「こうたろう」さんは「はるひこ」の兄貴やさ。 私:なるほどなあ、あれだけ飛騨方言丸出しで喋れる人ってそ、そりゃあ、地元の人に違いないと思っとったけど、そうか、唐谷の母ちゃんやったのか。 勉:そうやさ、そやで、あの母ちゃん、今、久々野の一番の人気者になってまったんや。なんてたってテレビに出演なさったんやで。 私:カゴメCMのスタッフがドサッとござって撮影なさったんやろな。 勉:そうやさ。ただし問題は、出演者の選定やったんやさ。 私:ほう?どうやって唐谷の母ちゃんに決定したんや? 勉:田舎っぽい農家のおばちゃん、って事で10人ほど他薦されたんや。 私:ほう?それで、どうやって最終選考されたんや? 勉:ひとりずつ畑の真ん中に立ってもらって都会の息子に自由に話しかけてもらう、って事になってなったんや。 私:そりゃ皆さん、はりきらはったんやろなぁ。 勉:それがなぁ、違うんや。 私:えっ?違う? 勉:あがってまって、一言もいえなんだ人もござったし、緊張してまって「誰それちゃん、野菜きちんととってね」なんて、共通語しかどうしても出なんだ人もござったしこ(=有様)や。結局、自然な雰囲気で飛騨方言丸出しですらっと言えたのが唐谷の母ちゃんだけやったんや。 私:へえ?唐谷の母ちゃんもやるなぁ。一躍、ヒロインやな。 勉:その通りや。自然にすらっと飛騨方言でカメラに向かって都会の息子に話しかける、なかなか普通の人間には出来ん事や。 私:なんか、おりやたって(俺でも)出来そうな気がするけど。カメラに向かって久々野中の同級生の初恋の人に「〇〇子!!おりゃ今でもわりぃが好きや。結婚してくりょ!!」とか。 勉:こわいな。昔からわりゃ思い込んだら命がけみたいな男やったで。そういう事ぁTPOやで。よくよく考えて慎重にせにゃだちかんぞ。焦るな、まずは大学卒業して医者になってじっくり考えて、何年もお嫁さん探しをする事や。・・ところであの子も候補者でたのむさ。 私:そやさなぁ。高校生かと思ったら、もう大学生にならはったんやさなぁ。 勉:そぅや。大学生やさ。19やさ。飛騨中さがいでも、わりぃに似合ったあんなええ子はおらんさ。まあ、今日は飲め。 |
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