大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 飛騨方言 You Tube Contents

【日本の方言】飛騨方言を学ぼう!【Our diaryゼミ】

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私:今時の方言の情報発信はこんな風になっている。


君:つまりは。
私:この仲良しのお二人は飛騨にはゆかりの無いおかただ。全国各地を訪れて方言に触れるが、方言話者をゲストに向かい入れ、即興の動画を作成するというもの。台本らしいものは無く、ぶっつけ本番という感じだね。それだけに当意即妙の返答が売りの番組。飛騨方言を取り上げてくださったのは私にとっては光栄。話してなんぼ、の方言研究にはユーチューブコンテンツは見逃せないという時代になっている。当サイトを開始した2005には、そもそもユーチューブは存在しなかった。Our diaryゼミも発足はつい半年前だ。時代はどんどん変わっている。
君:いろいろ突っ込みどころがあるのかしら。
私:何をおっしゃる。私はそんな意地悪伯父さんではない。ただひとつだけ、お伝えしたい事がある。
君:あら、どういう事。
私:第二編で、飛騨方言では「あす」の事を「あしたり」という、との内容だが、この事だけを詳述しよう。
君:共通語では「あす」は「あした」と同じ、つまりは「あした」に「り」がくっ付いただけの事じゃないのかしら。
私:確かにそうなんだが、飛騨方言で「あした」の事を「あしたり」と言うのには言語学の公式、パウリの公式、が作用しているからだろうね。
君:パウリの公式とは、例えば女性の代表的な名前は「〜子」だから、いろんな漢字の想起で沢山の女性の名前が思い浮かべられる、というような公式よね。
私:その通り。真知子、恵子、淳子、光子、美奈子、栄子、美子。そして突然に「たいこ」という音韻があったとする。これも女性の名前だとすると、答えはどうなる?
君:ほほほ、泰子よね。それにしても意味深長ね。
私:Please do not mention it. つまり「たいこ」は決して太古でも太鼓でも有り得ない。これがパウリの公式だ。
君:これを「あしたり」に当てはめるのね。・・・ほほほ、わかったわ。古語の名詞「ようさり」ね。
私:その通り。日本語は朝の事を「あした」と言う。古語では夕方の事を「ようさり」と言うので、これにつられて「あした」の事を「あしたり」と言うようになった。
君:ところが飛騨方言「あしたり」は専ら「あす」の意味で用いられるようになってしまったという事だったのね。
私:その通り。「ようさり」が過ぎると「あしたり」になるという古代の飛騨人の言語感覚だったのだろう。
君:なるほど。一理はあるわね。
私:実は「あす」の事を「あしたり」と言うのは全国各地だ。小学館古語大辞典全三巻によれば、岐阜県、三重県南牟婁郡(みなみむろぐん)、神戸市、和歌山、鳥取、岡山、山口県熊毛郡、熊本県下益城郡、宮崎。つまりは全国共通方言だ。
君:ほほほ、地勢的に何の関係も無い複数地方。つまりは語源は必ず古語にあり。
私:その通り。となれば方言「あしたり」が誕生した要因は古語「ようさり」という言葉につられてという説明以外には考えられない。しかも「あしたり」が生まれた時代は「ようさり」と同じく平安中期じゃないのかな、なんていうロマンスだって生まれるじゃないか。更には平安の「あしたり」が令和まで続いているかも。これって、凄くない?
君:そうね。ところであなたの宝物、角川古語大辞典全五巻に「あしたり」の記載は無いのかしら。
私:とても良い質問だ。「ようさり」の記載は有るが、「あしたり」は無い。
君:つまりは女性名付け辞典に「太鼓・太古」が無いのは当然として、「たいこ」の見出しがあるものの、うっかり漢字表記が脱落、つまり誤記なれど「泰子」の二字以外には考えられないというロジック、パウルの公式が働いた、「あしたり」という新語の想起は日本人の言語感覚そのもの、という事よね。
私:然り。古語辞典に戻ろう。「ようさり」もあるが「よさり夜去」もある。どちらが古いかな。君ならすぐわかるはず。
君:ほほほ、簡単すぎるわ。「ようさり」よりもっと古い言葉が「よひさり宵去」或いは一説には「ゆふさり夕去」で、これがウ音便となり「ようさり」、「う」が脱落して「よさり」。
私:そうだね。漢字表記は「ようさり宵去・よさり夜去」というわけだ。ついでに「ようさり宵去」の文例は紫式部日記。つまりは飛騨はじめ全国各地で平安中期辺りに「あしたり」が生まれた可能性がある。

君:動画にもあるように、どうして「きょう今日」の事を「きょうり」と呼ばないのかしら。
私:それも調べた。小学館方言大辞典に記載は無い。「キョー今日」の方言量は1。もっとも古語「けふ今日」の由来は今朝の「け」と「きのふ」の「ふ」を足したものというのが定説。「きのふ・けふ」あるいは「けふ・あす」の境目をどこに置くかについては、そもそもが一昼夜を等分して時を定める定時法と日の出・日没を基準とする不定時報で違いがあり、更には時代的な変遷もあったらしい。「きのふ・けさ・けふ・あす」という一連の言葉に「り」が入り込む余地は無い、というのが一つの答えだろう。
君:そもそもが2モーラの和語に方言の発生する余地は無い、という別回答もあるのじゃないかしら。
私:その通りだ。日本語は子音+母音の繰り返しの膠着語。つまりはイロハ48文字を二つの組み合わせでつまりは200通りほどの基本語彙たる和語が生まれ、これらには方言が無い。方言が生じやすいのは3モーラ以上の単語だ。
君:その理論を、この間、蝸牛考のコーナーに展開したわね。
私:そうだ。「まつ松」という樹木の名前に方言がなく、「いたどり虎杖」に300以上のほうげんが有るたったひとつの理由。「松」も「虎杖」も日本古来の植物には違いない。2モーラ「なす」の方言が僅少なのも有名な話。
君:「ようさり宵去」も方言学的観点から興味深い言葉よね。
私:その通り。アスペクトだね。「ようさり宵去」は現代語とは感覚が異なる。宵が去って夜になる、という意味では無く、昼にお別れして「たそかれ誰彼」「かはたれ彼誰」が始まるという意味だ。つまりは現代語感覚では、宵が来る、とでも訳せば正解という事だろう。蛇足ながら「かはたれ彼誰」は元々は夜明け、つまりは「あかとき暁・明時」の意味。次第に夕焼けの意味でも使われるようになった。
君:「あしたり」は元々は朝の意味で使われていたけれど、次第に明日の意味で用いられるようになった、という事かしら。
私:異論はない。それと日本語の特質、つまりは2モーラの倍数、つまりは偶数モーラが言いやすいという事で、3モーラの「あした」は飛騨方言としては4モーラの「あしたり」を選んだという事が言える。
君:ほほほ、奇数番目の女性をお選びだわよ。
私:陰陽道ではね、奇数が縁起の良い陽の数字とされているんだよ。つまりはラッキーセブン、というかオンリーワン。でも子供は偶数だ。娘が二人。可愛くて仕方ない孫は奇数で3人。孫が2の倍数にならないかと期待している。蛇足ながら、9は「陽の極まった数」で最大級に縁起が良いとされている。
君:数字に拘らなくてもいいわよ。全てはご縁なのよ。

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