大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

愛知県一宮市方言・ようやってちょうしたなも

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昨日 2008/10/7 の中日新聞朝刊に愛知県一宮市方言・ようやってちょうした、の記事がありました。読者からの投稿欄であり、亡き母をしのぶ忘れえぬ言葉という事で、方言の話題としては正に好材料です。意味としては、よくやってくださいました、という意味である事は書かずもがな。

早速に本題ですが、動詞連用形+ちょうした、などという言い回しは飛騨方言にはありません。尾張方言に特有といってもいいでしょう。原義としては、これも書かずもがな、頂戴した、が訛った言葉である事は言うまでもありません。

ただし、頂戴、という言葉を考えると、あれっ、と思いませんか。もとより漢語です。私自身は少しばかり興味があり、先ほどいくつかの書誌学の文献をあさってみました。

簡単に結論から行きましょう。江戸時代までは、頂戴仕る、というような意味、つまりは、いただく、という意味だったのですが、これが俗語、つまりは庶民の言葉になったのは明治時代なのです。しかも明治の中期の国語辞書・言海、にも、いただく、の意味しか現れていません。

現代語としても、やってちょうだい、などという言い回しにあるが如く、主に女子・子供が懇願・請願の意味で用いるようになったのは明らかに近代からなのです。それでも、古くは浮雲に文例があるそうな。くたばってしまえ。

例えば、やってちょ、つまりは、やってくださいな、という言い回しは立派な名古屋方言ですが、つまりはその歴史は一世紀に満たない新しい言い回し・近世語という事がどなたもおわかりでしょう。やっていただく、という意味から、やってくださる、という意味に変化するのに時間はかかりませんでした。あっという間に主体から客体へ変化したのです。

となれば、後の理屈は簡単です、ちょうだいした、から、ちょうした、への変化というのは恐らく数十年か、あるいはせいぜいが一世代の間、という事でしょうね。名古屋地方でこのように急激に生じた言葉の変化が飛騨に伝播するべくもありません。飛騨に鉄道が敷かれ怒涛のごとく名古屋の文化・言葉が襲ってきたのは実は昭和になってからの事だったのでした。

おまけですが、〜なも、は、な申す、が訛った言葉です。方言学の本の何処にでも書いてある事ですから、ご興味あるかたはそちらへ。

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