大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

輪中という方言境界

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先だってはまた出張で、三重県へ。津が多いのですが、その際は名古屋から特急でちょいです。話かわって京都へは新幹線でちょい。どちらにせよ、木曽三川をあっという間に通り過ぎてしまいます。佐七には、白山から養老山脈を抜けて輪中をどうしてまた、日本一、二、の方言境界線が走っているのか、という事がピンと来ないのです。つまりは方言の東西問題、輪中の西、そこは実は畿内の東のはてであり、輪中の東、そこは既に東国・東京の西のはてなのだという事が。

今回は津ではなくて目的地が四日市なので、じゃあたまには、という事で、近鉄の普通を利用してトコトコと移動してみました。ところが、ぎっしりと市街地ばかりの車窓であり、輪中があるわけでなし、それでも木曽三川をまたぐ鉄橋をゴトゴトと走って、川の景色をみやると、やはりピピーンと来る事といえば、
この景色は川ではない。海だ。 これもなるほど方言境界だね。
と思ったのでした。そう言えば、東海道は熱田から桑名までは海上じゃなかったか、七里の渡しとかいうのじゃなかったっけ。万葉集に『桜田へたず鳴きわたる 年魚市(あゆち)潟潮干にけらしたず鳴きわたる』 高市黒人がある。その昔、濃尾平野は実はほとんどが海だったのだ。干拓に次ぐ干拓、そして出来た平野、ここは人口の土地だ。

小学校の社会科のお話になっちゃうけど、輪中の人々の生活はそりゃあ大変、毎年のように荒れ狂う木曽三川の大河、もともとは人が住むような場所じゃなかったから日本一、二、の方言境界線かあ、とつぶやく、山国育ちの、海水浴をした事が無い、人間をひとり乗せて電車はカタコトと走っていったのでした。

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