大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

〜たい、〜ばい

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私:博多駅あるいは福岡空港に降り立ち、どうしても気になるのが表題の二つの文末詞だ。
君:意味としては断定、言い切り、念押しといったところかしらね。共通語の「だ・です」とどこが違うのかしら。
私:それはとてもいい質問だ。僕達・飛騨方言話者にしてみれば、「たい・ばい」両者の違いなんてどうでも良いじゃないかという気持ちになってしまうが、これが方言学という学問では飯の種という事になっているようだ。例えば、
肥筑方言における「バイ」と「タイ」の統語構造
熊本方言の指定助動詞
福岡市方言の文末詞「バイ」「タイ」の福岡部若年層における使用実態と代替形式について
福岡市方言における文末詞バイとタイ
君:切りが無いわね。
私:その通り。もっとも、日本で一番に文末詞を研究なさったというのが広島大学の藤原与一先生。方言文末詞〈文末助詞〉の研究は圧巻。
君:あらら、なんと696頁。
私:一応は読んだつもり。途中でなんどもくじけそうになった。
君:というか、読む片っ端から忘れてしまい、読み終わっても何も残っていなかったのじゃないかしら。
私:正にそんなところだ。よくわかっているね。ところで、めくら蛇におぢづ、というが、「バイ」と「タイ」の語源について私見を一言、述べさせていただきたい。
君:あら、上記の論文に語源の考察があり、それでひとつ勉強になったという事のお披露目ではなくて?
私:上記の論文は残念ながら徹底的に意味論・語用論に言及しているのみ。語源についてはひと言も言及していないといってもいいでしょう。
君:つまりは「バイ」と「タイ」の語源は不明ね。
私:意味論・語用論なら形而下学にて統計処理すれば結論が導かれる。科研費という名の玉手箱、つまりはゼニさえかければ何等かの結論が得られるという事だ。僕の目指すのは思考実験。
君:いいから、考えた語源をお披露目してちょうだい。
私:なんらかの古語表現が現代語の文末詞になった事は間違いない。「タイ」はタリ活用からでしょう。「ばい」が大問題だが、これは目的格の格表現の体言止めで決まり。つまり「〜をば。」
君:例文があるといいわよ。
私:では、なんちゃって福岡方言で。何たべてるの?メンタイたい(明太子たり)。何もってるの?大宰府の紅梅ばい(紅梅をば)。つまりはタリ活用活用語尾が文末詞「たい」になり、目的格格助詞の強意表現が文末詞「ばい」になったのでは。
君:ほほほ、ルーツが違う二つの品詞が文末詞という同一品詞になり、やがて混同が生じたのではという論理ね。
私:想像するのは自由。一応、理屈は合っていると思う。両文末詞は近世語としては完成しているだろうから、つまりは成立はタリ活用成立後、つまりは室町あたりでしょう。
君:そこまで言うか?ほほほ

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