大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

はんなり(京言葉)

戻る

私:2021秋、コロナウイルス患者も全国的に激減、緊急事態宣言が解除された事もあり桂離宮へ行ってきた。念のため車でドアからドア感染対策で。宮内庁の管理につき、事前完全予約・抽選という事だったがラッキー。
君:それで桂離宮が「はんなり」だったというお話ね。
私:いやそうではない。離宮は超一級の日本庭園につきワビサビの荘厳な世界、「はんなり」で片づけられるものではない。
君:という事は?
私:京都の町にあふれている「はんなり」という言葉。京都の文字景観といってもいいかな。京都市民がお好きな言葉の断トツ一位が「はんなり」である事も夙(つと)に有名。
君:意味は、優美・おだやか・ほのぼの・ほっこり、等々よね。つまりいい意味の言葉の第一位。
私:うん、それは間違いない。
君:今夜の話題は「はんなり」の語源?
私:まあ、そんなところだが。「はんなり」は日本人なら知らぬ人とてない京言葉だが、この言葉ははたして方言なのか、あたりから語っていこう。
君:京言葉は方言とは言わないわ。第二日本語よ。
私:ところが、小学館日本方言大辞典全三巻には「はんなり」の記載がある。
君:つまりは方言ね。地域は?
私:京都市、大阪市、奈良県。ただし「明瞭だ」の意味の「はんなり」が香川県仲多度郡にあった。香川県の語源は「判然也」あたりからという事で京都・大阪・奈良の「はんなり」とは別の言葉だね。
君:地域限定で話される言葉、「はんなり」は地域共通語ね。
私:そのようにお呼びするのが礼儀というものだね。「方言」という言葉は少し礼を欠くように思う。
君:いつの時代からの言葉かしら。
私:とてもいい質問だ。しかも答えやすい。日葡辞書には記載が無い。つまり江戸時代初期までは存在しなかった。ただし東京堂出版・近世上方語辞典には「はんなり」の記載がある。宝永元年(1704)の落葉集四あたりから。つまりは近世上方語。意外と歴史は浅いね。講談社・江戸語大辞典には出てこない。勝手な想像だが、江戸市民には愛されなかった可能性がある。
君:歴史は浅く、京都・大阪・奈良限定の言葉という事ね。
私:正にその通り。京都・大阪・奈良から一ミリも出て行かなかった。そして今も。ある意味、すごいね。
君:話が少し戻るけれど、京都・大阪・奈良の「はんなり」の語源って何?
私:各種資料、手元資料とか、ネットとか漁ってみたんだよ。「はななり華也」とかいう説があるけれど、笑っちゃうな。絶対に違う。
君:じゃあ語源を知っているの?
私:・・ヒソヒソ
君:つまんない左七ね。チコちゃんごっこはやめて、皆様にお考えを披露してね。
私:うん。お忙しい読者の為に左七が考える語源とは・・・こんなの、オノマトペに決まっている。
君:オノマトペは擬音語と擬態語の総称だけど、音ではないから「はんなり」は擬態語という主張ね。
私:いかにも。
君:根拠は。
私:四モーラの言葉で他にいくらでもあるでしょ。ほんのり、しんみり、やんわり、ふんわり。皆、強烈な同類項だ。★ホンワカのイメージ、★二拍目が「ん」、★アクセント核は全て三拍目、つまりはアクセント学的に同一モーラの類別語彙、★締めの拍が「り」だ。他にも書きたい事はあるぞ。
君:ほほほ、書かなくていいわよ。
私:いや、書かせてくれ。文法で行こう。僕は文法が大好きなんだ。
君:簡単にお願いね。
私:ひとつには格助詞「と」に接続して副詞句になる事だ。ほんのりと、しんみりと、やんわりと、ふんわりと、そして「はんなりと」。
君:なるほどね。
私:まだある。「だ・です」に接続詞して形容動詞になる。気持ちがほんのりです、しんみりです、やんわりです、ふんわりです、そして「はんなりです」。
君:なるほどね。
私:格助詞に接続して副詞句になったり、「だ・です」に接続詞て形容動詞になるから「はんなり」の正体は状態を表す体言のなかでも擬態語たる体言だ。それ以上の意味でもそれ以下の意味でもない。しいて言えば言葉が醸し出すイメージ、これが「はんなり」の正体。お願いだから「華也」などという漢字を当てはめないでくれ。
君:「だ・です」に接続するという事は近世上方語は形動タリ「はんなりたり」だったのよね。「はんなり」自身が形動ナリという事は有り得ないわね。ほほほ
私:その通りです。左七には到底、考えられません。蛇足ながら「はんなりした」と言う文例が近世上方語辞典に記載されている。「はんなり」はサ変動詞の語幹にもなり得るのどすえ。
君:それは重要な証拠よ。「はんなり」自身が体言である事の動かぬ証拠。妙に「すっきりした」わ。おばんギャグ。ほほほ

ページ先頭に戻る