東京の定宿といってもいい帝国ホテルですが、生まれて初めて食事をした事が忘れられません。
家内の用事に付き合わされての上京の事でした。
御のぼりさんもいい所ですから、本当に楽しい思い出でした。
相手は、レストラン、ラ ブラスリーのソムリエの方、
言葉は優雅な東京語。当たり前の事ですが。
言葉巧みにチヤホヤされれば、誰とて慇懃無礼には気付きにくいものでしょう。
さりとて、お客様は神様です、とお客自身が思ってはいけませんね。
ようこそいらっしゃいませ、の常套句でテーブルに
案内され、ほどなく彼とのやりとりが始まります。
第一印象は、目が優しく涼しいソムリエさんでしたから、
やあよかった、この人とならば会話が楽しめそうだぞ、という
気分になります。
さてレストランにはゆっくりと時間と会話を
楽しむために来た訳ですから、ささっと注文してはいけません。
メニューを見せてもらって、率直に質問するのです。
複数メニューの値段の差も質問してみました。
また自分達の懐具合、早い話が予算も告げればよいのです。
勿論、告げました。ワインはどうされますか、の質問には、
勿論いただきますとも、と返事をしてワインリストも
拝見します。私はフランス語がわかりません。
がしかし臆する必要はありません。質問すればよいのです。
また家内はただ黙って聞いているだけではありません。
味の好みをあれこれ伝えれば、また彼があれこれ
お勧めを話してくれます。なんやかんやで、料理とワインの
種類を決めるだけで十分以上、時間が経過してしまいます。
そんなソムリエさんとの会話がうっとおしい方は、
やはりホテルのレストランでは
食事を為さらない方が良いかも。
何はともあれ、夫婦とソムリエ氏の三者がヒソヒソと
話しながら注文の内容を決定しますと、
後は前菜が来るのを待ちます。
そう、あくまでもヒソヒソと。
実はレストラン、ラ ブラスリーにはBGMがないのです。
勿論、窓の外の都会の喧騒も一切、聞こえてきません。
レストランに漂うのは、まるで図書館そのものの静寂のみ。
あるいは、時にグラスのカチャカチャという音が響きます。
それ以外は、隣のテーブルの人々のボソボソと言う会話が
感ぜられるだけですから、私も家内と額を寄せ合いながら、
うーむ雰囲気ゃあ満点やながい。
やっぱなあ、帝国ホテルぁちがうなあ。
とヒソヒソ話です。
料理が出されると、思いっきりのうんちくです。
これがまた良いのです。
ワインのうんちくについても然り、折角の機会ですから、
この際はあれこれ質問を繰り返して知識を得ましょう。
飲み賃、とは考えないほうがいいでしょう。
つまりは、つがれ賃と質問料。
こうやって一時間もしていると、
ソムリエ氏と私ども夫婦は大の話し仲になります。
次なる作戦は、ふふふ、ソムリエ氏に身の上話をさせる事。
これもそれとはなくなんとかやりましたとも。
ここに勤めて何年になるとか、
つまりは以前はどこそこに勤めていた事があるとか。
私どももお返しです。
一期一会氏に差しさわりのない程度に
身をあかし、支払いを済ませた後は恭しく
エレベータまで見送ってもらって、
いやあ楽しい食事だったな、
帝国ホテルのソムリエさんはさすがに良かったぞ、
料理もよかったけどね、
の語りかけににっこりとうなずく家内。
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