大西佐七のザ・飛騨弁フォーラム 心の旅路

ぶち(とても、山口方言)

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私:山口県の方言副詞に「ぶち」がある。ネット情報も多いが、山口弁講座篠崎晃一先生講座・強調方言
君:ほほほ、何か言いたそうね。
私:うん。その前に手短に書いておこう。意味は「とても」。機能は副詞。山口・広島限定。新方言(ネオ方言・現代若者方言)。1970年代から。今では年配層の言葉に。土産物等、方言グッズのキャッチコピーに頻用される。以上
君:特に問題ないのじゃないの?
私:ああ、勿論。ただし、僕が問題としたいのは語源。
君:貴方は・・「ぶち」は他タ四「うつ打」の連用形・・と言う解釈がどうにも気に入らないのでしょ。ほほほ
私:その通り。偉い先生がああ言えばそうなる、書物に書いてあればこうなる、という悪い見本だろ。
君:おっと、大きく出たわね。じゃあ説明して頂戴な。
私:うん。他タ四「うつ打」は万葉集に例がある和語動詞。そして同語の音韻変化たる他タ四「ぶつ」は物類称呼に出てくるから中世・近世語といってもいいね。
君:ほほほ、そこで次いで出てくるのが近世語、つまりは威勢のいい江戸語というわけでしょ。
私:その通り。講談社・江戸語大辞典は「ぶつ」の複合動詞のオンパレードで、現代語に通じる言葉が圧倒的に多い。ぶっころす、ぶっこわす、ぶっきらぼう、等々。
君:あら、ぶっきらぼう、は名詞よ。
私:てやんでぇ。「ぶっきりぼう打切棒」ってのが始まりだったんでぃ。おとといきゃーがれ。
君:おととい、はひどいわね。二度と来るな、という意味でしょ。
私:勿論、冗談だよ。今後もお付き合いお願いね。結論だが「ぶち」って「ぶっちぎり」の短呼化だろうね。
君:いいけど、話が回りくどいわね。江戸語に「ぶっちぎる」があったのでしょうよ。
私:ははは、まんまとひっかかったね。実は・・無い。
君:へえ、それは意外。なら、近世語かしら。言海と大言海にあったの?
私:いや、そこにもない。つまりは「ぶっちぎり」は現代語である。もっとわかり易い言葉で言うと「ぶっちぎる」という動詞はそもそもが日本語として存在しない。まずは若者言葉として戦後に「ぶっちぎり」が生まれ、更に類推から「ぶっちぎる」という若者言葉の動詞が生まれた、というのが真相だろう。山口県では更に「ぶっちぎり」から「ぶち」へ音韻変化したのでは、と直感しているのだけどね。つまりは当サイト以外のネット情報は誤り。
君:どうして、そこまで言い切るの。勇気ある発言だけれど、後から大恥をかくかもしれないわよ。
私:ははは、ご心配なく。僕は手元の辞典の山からひとつの真実を発見した、それだけの事。確かに、他ラ四「ちぎる千切」、自ラ下二「ちぎる千切」、自ラ下一「ちぎれる千切」、という古語動詞は存在するし、現代語としても「ほめちぎる」という複合動詞の使い方もある。ただし講談社・江戸語大辞典と明治の言海、昭和の大言海、この三つの辞典に「ぶっちぎる」の記載は無い。同語は戦後の造語である事は、ほぼ間違いないし、「ぶち」は1970年代の山口県の若者言葉。「ぶち」は突然に生まれた言葉なのだから、いくら「ぶち壊す」「ぶちまける」「ぶち込む」などの言い方があるからと言って、「ぶち寒い」「ぶち美味い」「ぶち真面目」と同じにされちゃ、僕としては到底、納得できない。形容詞を修飾するのは副詞だ。複合動詞の前方成分が形容詞を修飾するなんていう日本語文法は聞いた事がない。もっとも、「ぶち寒い」は「ぶっちぎりに寒い」という意味で、これを品詞分解すると「打ち(=ぶち)・ちぎれる・ほど・に・寒い」となるのだろうけれどね。
君:確かに、若者言葉から発生した方言の解釈に「和語動詞を用いた接続動詞による接頭語」はいただけないわよね。
私:そうなんだよ。もっと素朴に考えるべきだ。要は語感。とても、という意味で、関西「めっちゃ」、名古屋「でら(=度偉い)」など全国に方言表現があり、俗語であるのであらたまった場所では決して話されない。
君:要は「ためぐち」専用語というわけね。
私:その通り。結論だが、恋人同士で使えばいいんだよ。古語辞典万歳!
君:ぶちしらけたわ。副詞だから動詞も修飾できるのよ。つまりドン引きよ。ほほほ

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