純文学

新版あゝ野麦峠 山本茂実 朝日新聞社

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これは小説ではなくてドキュメンタリーです。明治時代に富国強兵策を支えた生糸産業、外貨の大半を稼ぎ、明治の日本を作ったといってもよい産業ですが、全国各地にあり、近隣から大量の尋常小学校を卒業したばかりの女子達が集結したのでした。その一つが長野県の諏訪湖。諏訪湖の際立った点は女工達の唯一の休み・正月に故里と諏訪湖を命がけで北アルプス野麦峠越えした飛騨出身者の方々がいた事でした。戦後ともなると全員が老齢化してしまいます。彼女達について記載された書物が無いのを憂いた山本茂実氏、松本生まれ、早大卒、教諭、が長年に渡ってルポし、一冊の本が生まれたのでした。生々しい記述はまさに国語学のお手本という事で、あまり教条的な事は書きたくないのですが、あえて・・・
  • 角川・現代国語二に収録
  • NHK通信高校講座現代国語二にも収録
  • 三省堂現代国語編集部編『人間の発見シリーズ』に収録
  • 中学国語読本『はぐるま』に収録
  • 兵庫県中学国語副読本『友だち』に収録
  • 岡山県民主教育協議会編『山びこ』に収録
  • 児童言語研究会編『国語の授業』に収録
  • 絵本『野麦峠を超えて』としてポプラ社から発刊
  • という事で、国語の教員の方々でまだお読みで無い方にこそ是非、お読みいただきたい本なのでした。

    尤もここまでは少しばかり平凡な話。

    さて、私の両親は祖父母が誰か知りません。私の母方祖母は幼くして両親をなくし、小学校を卒業するや、先生に引率されて目指したのは諏訪湖ではありませんでした。久々野村から二日かかって(萩原で一泊、気分は修学旅行)飛騨金山まで歩き、そこで汽車に乗り、一宮の紡績工場に働きに行ったのでした。その事を私は祖母自身からなんどか聞く事が出来ました。祖母が自身の母親を知らぬ以上、私の母は自身の祖母がわかるべくもありません。また私の父も然り、私の父方祖母も乳飲み子同然だったころに両親と死に別れたそうで、小学校すら出ていません。物心ついたころから親戚に預けられ、子守りを生業とする社会人というわけです。あゝ野麦峠の女工さん同様に、否、それ以上に過酷な人生のスタートだったようです。

    もう一点ですが、この本に出てくる地名はまさに私の故郷です。隣村であったり、私の家の裏山の峠であったり、私にとってはこの本は臨場感満点、というか、読むのが怖い本なのです。まさに私のご先祖様方の生きざまが書かれた本です。

    ところで、この本を読んだのは大学生の時でした。続いては、吉永小百合が主演で映画化の企画があったものの突然中止、日本中が大騒ぎになりました。その事も本の巻末に書かれています。おっ、ところが・・・1978年に大学を卒業し、愛知県安城市にて内科医として働くのですが、ちょうどその年に大竹しのぶ主演映画・あゝ野麦峠が封切られたのです。そのころはどんな町にも必ず映画館のひとつやふたつはあって、安城市でも駅前で上映されていたのでした。日曜日に独り、観に行きました。あまり自分の生い立ち、即ち・・・祖父母四人に愛されて育ちましたが、祖々父母八人のうち四人が不明、私はどこの馬の骨・・・を知られたくない気持ちが働いて誰も誘いませんでした。また、どうせ泣いてしまうだろうからと思い、空いた場所を探しました。不朽の名作を観て40年が経ちましたが、今でも内容はよく覚えているし、また泣きたくない、私はどうしても再度、この映画を観る気になりません。


    1.つぶらな瞳が歩いていく/うなじが白く吹雪に染まる/悲しみだけが待っているのに/その時はまだ何も知れずに/つぶらな瞳は明日を見つめる/(*)幸せは野麦の東/山は高くても/谷は深くても/道は遠くても/夢は途切れても

    2.幼いえくぼが歩いてゆく/後れ毛達が風に震える/故里にもう帰れないのに/その時はまだ何も知らずに/幼いえくぼは無理に微笑む/(*繰り返し)

    3.小さな命が歩いてゆく/涙が一つまた凍りつく/やがて歴史が教えるだろう/幸せなんか何処にも無いのを/小さな命はそれでも歩く/(*繰り返し)

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