純文学

愛のかたみ・田宮虎彦

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戦前から戦後にかけて活躍した小説家田宮虎彦、本名、ですが、私が大学教養部の時代(1972-3)の頃は氏の多くの作品が文庫本の形で書店に並んでいました。多分、足摺岬、の作品あたりから読み始めたのかと思いますが、作風を一遍に好きになってしまい、次から次へと氏の作品を貪るように読んだ事を覚えています。読んですぐにわかる事は、ああ・この人は本当に苦労をしてきたのだな、という事です。ところで書には著者の簡単な履歴が書かれているのが常、東京帝国大文学部国文学科卒。

そして、何の作品だったか度忘れ、彼の小説の一節にこんなのがありました。小説の主人公は苦学生です。学生の講義にあたり教授が若い頃の武勇伝をお披露目するのですが、親からの仕送りを全て女と酒に使い、教科書がもっと要ると嘘をつきさえすれば親は騙された事も知らずに幾らでも送金してくれた、とお話しするや、学生からはどっと笑いの声が出るのですが、主人公はただ一人、うつむいてしまい目に涙をにじませるのです。これは田宮虎彦の私小説に違いない、誰でも直感出来ます。

今はインターネットの時代で、小説家の経歴が幾らでも調べられ便利な世の中ですが、当時の私が田宮虎彦の生涯が詳しくわかるべくもなく、ひとりのファンとして彼の私小説と思しきものを買っては読み、作品を通じて本人の全体像を探ろうとしていたのです。後に知るのですが、彼は実は子供の頃から大変に厳しい父親の虐待にあっていて、学生時代の仕送りは全てお母様が夫に内緒で息子可愛さにひっそりと細々となさったそうな。バイトに明け暮れる帝大生生活。この点は、私の生きざまによく似ています。物心ついたころから高校生に至るまで農家の作業を手伝わされ、夏休みともなると朝からそんな状態で、夏休みがいやでたまりませんでした。日曜日とて同じ事。また父は居丈高に私を叱るばかりで、そんな父に気に入ってもらおうと必死に勉強もし、成績を挙げるのですが決して認めてもらえません。学友の誰と比較しても私のような苦学生はいないような状況でした。それでも私は学生時代に何万円かの仕送りがあっただけでも田宮よりはましだったと言えましょう。生活費の残りはバイト代と奨学金が頼りですが卒業は成功、大学六年は親のおかげ。あの日々があって今の私、二万人余の患者様との出会いがある。現に私の中学校の友人には中卒で働きに出たのが多く、残り大半は高卒で働いていた時代だったのでした。

さて表題の、愛のかたみ、については最近知ったばかりなのですが絶版、古書です。早速にアマゾンで取り寄せました。朝の四時に起きて七時あたりまでで一気に読み終えました。この本は小説ではなく、彼が妻と知り合い、先立たれるまでを克明につづった手記です。田宮小説以上に筆致は冴え、否、むしろ鬼気迫るものがあり、これを読む秀平は田宮小説のどの本よりも、愛のかたみ、を読んで涙腺が崩壊せざるを得ませんでした。実話だけに。

内容を簡単に紹介しましょう。氏は前述の如く苦学生なりに帝大を卒業、外務省の外郭団体に薄給で勤めますが、時は戦前の混乱期。職場に入社した平林千代を見初め、一年余の交際を経て、反対する周囲を説き結婚します。ひとつには二人が共に結核を繰り返し病弱であり、医者から結婚するなと言われていた事ですが、なんとかゴールイン。結婚後は職を転々としつつ、文学で身を立てたいという学生時代からの野望を捨てない夫を献身的に妻は支えます。戦後に才能が開花、数多くの小説が世に出て、生活は上向き、二人の男の子にも恵まれ、結婚生活は十八年余続くのですが、突然に妻は胃癌を患い、他界してしまいます。享年43歳。幼い子供と共に残されてしまった田宮虎彦は毎日、悲嘆にくれるばかりですが、立ち直ろうと決意し、愛のかたみ、を出版します。

本の後半には二人が知り合ってからの大半の往復書簡も紹介され、氏はこの書簡集を、かたみ、と呼んでいるのです。手紙はお互いヘの尊敬、慈愛の言葉で埋め尽くされていて、文学的価値のある内容です。本は従って田宮虎彦・千代共著となっています。ある一章では幼子、長男・田宮兵衛、次男・田宮堅二、を残して妻の後を追う事が出来ぬ苦悩も書かれ、田宮ファンの涙を誘うばかりでした。この本は畢竟、彼の小説の神髄が書かれた実話です。

秀平はやっと田宮虎彦の全体像をこの本を通じて理解する事が出来ました。この出版をきっかけに彼は再帰し強く生きようと決意、且つ再婚する事もなく心の中に生き続ける妻と共に二人の男の子をお育てになったのでした。その子達は後に共に大学教授。ここまではめでたし。但し晩年に彼は脳梗塞を患い、書けなくなり、純粋過ぎた魂の苦悩は最早、限界でした。自殺し、妻の元へ。やはり田宮は私の心に暗い影を落としてしまった。合掌

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