純文学

雨の日には車をみがいて 五木寛之 集英社

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これは五木寛之氏の小説の中ではほとんど知られていないものでしょうね。発刊が1998ですから『大河の一滴』(随筆)あたりが寧ろ同年の代表作というべきかも。小説といってもたかだか271ページに九編の短編ですから、ひとつひとつは五分か十分ほどで読めてしまいます。カーマニアにはお勧めの小説です。アマゾンから簡単に入手可能です。

私は車好きですが、実は中学生時代から。家にあったトラックの運転法が理解できるや否や、かってに村の中で乗り回し、また父親も、事故さえしなければ、という事で黙認していました。見返りに農作業を手伝わされました。既に時効です。大学生になり、春休みに地元にて普通自動車免許を取ったのですが、補習無しで仮免・本免とも一回で合格、運転がうますぎるので教官から、お前は高校時代から無免許やってたな、と詰問されたのですが、違います・中学生からです、と返答したのでした。そして、私の大学時代のバイトがトラックの運転手、これでだいぶ荒稼ぎ出来て生活が潤いました。自分の引っ越しもレンタカーで済まし、レンタカーで友人の引っ越しも手伝いお金をむしり取ってしまいました。

1978年に医学部を卒業、地方の病院で内科医として働きだすのですが、現実は厳しい。社会人になった途端に私に課せられた命題は両親と大学生の弟、つまりは三人の大人を養う事、とても自家用車を購入する生活の余裕などありません。晴れてマイカーなるものを所有出来たのは結婚してからでした。大学病院勤めが始まり、濃尾平野一円のあちらこちらの病院にも非常勤で出かけなければならず、最も遠い病院が国立療養所鈴鹿病院。片道二時間、つまりは往復四時間の生活が二年続きました。然しながら車好きの私が堂々と乗れる通勤、この四時間を苦痛と感じた事など一度もありませんでした。

1983年からは二年余、米国に留学するのですが、この間に全米各地をしらみつぶしに走りました。行かなかった都市など数えるほどしかありません。大学から片道が千キロ近いボストン、ニューヨーク、ワシントン等は行った回数があまりに多くて、30年以上たった今となっては記憶が錯綜するばかりです。帰国時には二か月かけて合衆国をぐるっと一周し、その走行距離は二か月で二万キロです。

実は私は車以上にオートバイ好きで、所有する二台のひとつがホンダGL1800。この巨大バイクを見たのは2000年ころ、私は名古屋の栄を自家用車で南下していました。すると北上する車の中に今まで見た事もない真っ白なバイク。ほんの一瞬、すれ違っただけなのですが、黒いサングラスの老人、そして後部座席には老人の女性、奥方様に違いありません、いやあ・なんてかっこいい御夫婦なんだろう、と見とれてしまったのが、よしオートバイの免許を取ろう、と決心した直接のきっかけでした。

車好きの人にしか到底、理解できない小説、雨の日には車をみがいて、ですが、実はオートバイ小説というものも少なからずあるものの、むしろ多いのが体験本です。人というものはオートバイで世界を一周すると、帰国してどうしても出版したくなるのですが割愛。人生も晩年であるし、私もたった一度の人生ゆえ夢は見ていますが、現実は厳しい。私には仕事がある。患者様を見捨てて自分だけ幸せになるわけにはいきません。


動画は2008年(55歳)のもの。悲願達成の瞬間です。オートバイに年齢はありません。必要なものはやる気だけです。You Tuber 経歴としてはこの動画が一番のヒット、二万回以上クリックされました。

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