純文学

コンビニ人間/村田沙耶香

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年末に夫婦で久しぶりに海外旅行に出かけた。家内が三年前に大動脈解離などというとんでもない病気になったのだが、奇跡的に手術で命が助かり、その後の経過は順調で、しばらくは週末を利用して全国各地の温泉にのんびりと旅行していたのだが、そろそろ脱皮が必要、新婚旅行の事を思い出すし、海外旅行に挑戦、たった一度の人生が病気でしぼんだままではいけない、二人の気持ちは同じだった。

中部地方に住む私達だが、今回は都合で名古屋から品川まで新幹線、京浜経由で羽田空港へ向かうのだった。せかせかと列車の時刻を確かめる分単位の時間が流れていく。大動脈解離という病気は気分がイライラして血圧が上がって内膜というペラペラのベニヤ板のような薄皮が瞬時にペリペリと破れていく病気なので、本当はノンビリと温泉に行くのがリハビリには良いのだが、なにせ手術後三年も経過している。これからもずうっと生涯そんな事ばかりで終わるわけにもいかない。だから今回の旅は二人はわざと急いているのである。

家を出て私鉄に乗り名古屋駅についた。弁当を買い、新幹線に走り、車内で昼食の予定だったのだが、コンビニで家内が弁当を買っている間、僕は目ざとくある文庫本を見つけた。『コンビニ人間』。・・なんか聞いた事あったっけ。芥川賞受賞、映画化、と帯に書かれている。ならいいや。家内に文庫本を投げつける。びっくりしながらもキャッチした家内。どうやら血圧は大丈夫のようだ。僕は実は、最近に再開したこのウエブサイトの事が寧ろ気になって仕方なかったのだった。どんどんと小説を読んでアップし続けなければリピータは増えない。駄作でもいい、書き続ける事だ。つまりは見栄である。全国のどなたがお読みくださるのか知らないが、とにかく一回でも多くクリックしていただいてウエブカウンターの数を増やす事が生き甲斐になってしまっているのだ。コンビニに『コンビニ人間』が売られている。しかも芥川。なにか書けるだろう。

しばらくして二人は新幹線名古屋駅のプラットフォームにいた。数分後に上りが到着する。僕は『コンビニ人間』を早速に立ち読みし始めた。二時間ほどして新幹線は予定通りに品川に到着していたのだが、実はこの間の事を僕は全く覚えていない。貪るように本のとりこになっていたようだ。家内に促され車内販売のコーヒーを一杯注文して飲んだらしい。

品川に着く直前に読了し、僕は久々に面白い小説を読んで愉快だった。私は家内に言った。『いや、なかなかおもしろいね、この本は。どう、君も読むかい。』家内はすかさず答えた、『なんだか気味が悪いわ、あなた。何が書いてあるか私にはわかるわ。あなたも、コンビニ人間、なのよ。それとも、わざとコンビニ人間ごっこをして私の血圧をお試しくださったのかしら?なら上等ね。』。

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