これは小説ではなく、夫婦の実際の手紙のやり取り約200通原文そのままの本です。壷井栄50回忌記念出版とか。戦前の治安維持法下で獄中の身となる夫・繁治と、彼を見舞いに行く妻・栄が、面会の日以外にお互いに書いた長文の手紙が時系列的に表されていて、手紙のキャッチボールです。
全てが長文の手紙ですが、これまた全て官憲により検閲され許可されたものばかりなので、内容については差しさわりの無い、他愛もないような文面が多く、これが380ページ余も続く一冊の本ですから、読み続けるには少し苦痛を伴うのですが、それでも比ゆ的な表現、隠喩などにより、お互いが検閲を潜ってなんとか相手に気持ちを伝えようとするフレーズがちりばめられていて、それなりに面白いと感じました。
全体的には当初の手紙は繁治は短く、そして栄は長いのです。後半ともなると繁治が長く、栄は短くなります。主客の転倒というわけですね。それでも一字一句が相手への尊敬・慈しみの気持ちで貫かれていて、夫婦はかくあるべし、と感じる読者が多いだろうと思いました。重要な点は、獄中の夫の励ましの手紙により主婦であった栄が作家を決意する点でしょう。
ただし、以上が前書きです。本の巻末にある三ページの解説を読んで、私の気持ちは完全に打ち砕かれてしまいます。実は手紙の中にちらりと出てくる共通の友人の女性・中野鈴子と繁治の恋愛が後に発覚するのです。栄は絶望の淵に陥れられるのですが、この本の200通の手紙の中の栄はそんな事は知りません。話はまだ続きます。戦後を生きた夫婦ですが、栄の死後すぐに繁治はまた別の女性と再婚です。
小説家・壷井栄の生みの親が夫・繁治である事は紛れもない事実でしょう。栄の手紙はさしずめアメリアの遺言ですね。蛇足ながら、クラシックギターの曲・アメリアの遺言はヤマハギター講師の採用試験の必須曲です。他に自由曲を一曲、この二曲が合格すれば晴れて講師です。El testament d'Amelia
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