純文学

源氏物語と昭和47年の金沢大学

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歳をとればとるほど、毎日の感動は薄れ、静かな時が流れていくが一年が短く感ぜられます。若い時は毎日が驚きの連続で、一日も、一年もとても長く感ぜられます。NHKの人気番組、チコちゃんに叱られる、のテーマになっていて、理由は、やはり、毎日の感動が少ないと一日は短く感ぜられるのだそうな。ただしいくら頑張って感動を作り続けても幾つかの重要記憶以外は生涯に渡って残らないので、人間の脳が記憶で埋まってしまう事は無いのです。

つまらない前置きはさておき、早速に本日のお話を書きましょう。昭和47年に斐太高校を卒業し、名古屋大学医学部に進学、名古屋での一人生活が始まるのですが、なにせ田舎の出、都会に慣れるには年月がかかります。四月にあれこれガイダンス、一斉に複数講義が始まるのですが、名古屋大学では名大祭といって、五月の連休にバッティングして全学が一週間ほどの休みになるのです。新入生ゆえ学園祭にかかわる事もないので新学期が始まっていきなりもう一度の春休みという訳です。私は迷わず帰省しました。一か月ぶりの故郷は何もかも違って見えて、きらきらと輝いていました。そう、これからの医学部六年間の学問に期待を膨らませる私の心と同じく。

一日ほどは家にいたのですが、続いては母校・斐太高校を訪れ、なおも時間があるので、私と同じく現役で金沢大学医学部に入学した斐高の級友に会うべく、金沢市を訪れました。私は幼児期に祖母と二人で金沢へ旅行した事があるそうですが、記憶は全くありませんが、でも金沢ってなんだかロマンチックな響きの町、るるぶ気分、旅心がかきたてられます。第一に大学受験から解き放たれた大学生同士がお互いの下宿を無料の宿に提供しあうのも悪くはないでしょう。

キャンパスは金沢城内にあり、びっくり。夜は彼といっしょに香林坊へ行ったものの、未成年でしかも一か月前まで高校生の二人です。ジュースを注文したのでした。下宿に泊めてもらい、翌日は講義に向かう彼とキャンパスで別れ、北陸線で名古屋へ舞い戻る予定はあるものの、まだ時間はある、と思い、再び金大キャンパスへ足を運んでしまった私でした。

ぞろぞろと学生が複数の建物を出入りしています。講義の合間のようです。そうだ、隠れ聴講生をしてやれ、と、ついつい茶目っ気を出してしまいました。東京に進学した斐高の先輩だったか、はたまた斐高の恩師からだったか、他大学の名物先生の講義にこっそり聞きに行くのが本当の学問だ、というような事を高校時代に言われた事を思い出したからです。ひとつの講義室を選び、こっそりと前列に座り、ノートと鉛筆を用意しました。ほどなくして教官が登場、『えーっ、今日のお話は源氏物語です。君たちは高校のペラペラの古文の教科書しか読んだ事がなく、源氏といっても、いずれの御時(おほんとき)にか女御・・、程度しか学んでいないでしょう。これは世界で最古の長編小説で、その価値たるや・・』の前置きが早速に始まり、やはり大学教官、聞く学生をぐいぐいと引き付けてくださいます。

一言で源氏物語といっても幾つものバージョンがあり、また、内容をつぎはぎ、どんどん膨らませていって最終的なものになったものの、最初はホンの身近な物語であった事、等々、を教わった事を今でもよく覚えています。残念ながら筆記したノートは処分してしまいました。残っているのは二時間の楽しい講義の思い出だけです。名大生が金大キャンパスで最前列にて隠れ聴講生。出欠などは無く、ああこれが大学教育なのだな、と実感した事も覚えています。

講義は終わりました。学生は再びゾロゾロと出ていきます。金沢大学よ、さようなら。名大生は兼六園に別れを告げ、金沢駅へと急ぎます。夕刻には名古屋の下宿に戻っていました。・・翌日の事はなにも覚えがありません。

実は金大キャンパスかその後に郊外に移転したという事を先ほどまで知りませんでした。確かお城の大学だったはず、そこで隠れ聴講生のお遊びをしたのだったが、と悩んで、自分の記憶があいまい、いよいよ自分の前頭葉も壊れ始めたのかも、と落ち込んでしまうところでした。・・あのキャンパスはなくなってしまって、今は城跡全体が公園になったのですね。

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