小説・博士の愛した数式、の発表二年後、つまりは2005年に映画された事を知り、早速にDVDを鑑賞しました。映画は小説とは随分と異なる内容となっていて、平凡な結論ですが両方ご覧になる事をお勧めします。勿論、映画の内容は小説内容の相当部分を切り捨て、但し重要な会話内容は小説そのままで語られるのですが、監督の大胆な解釈による異なった展開が加わっています。映画はぐぐっと大人向け、とは言え PG-13 の内容となっていて、それは映画の締めくくりで登場人物の語りに表れます。さて映画監督かつ脚本家・小泉堯史さんのオイラーの数式の哲学的意味についての解釈には脱帽でした。天才オイラーですが、数学好きの私の昨日までの認識は、彼は三角関数を少し考え詰めて多項式の連立方程式に結びつけたのだろう、という事でした。また小説では何故、博士の愛した数式がオイラーの数式なのかが明確に描かれていなかったので、昨日まで私は小説の意図も実は考えあぐねていて、若しかしてこの小説はコメディなのかと勘違いしていたくらいです。
つまりは小説が数学問題ならば、その映画化は解答編という訳です。つまりは私のような凡人は一方だけを見ていたのならば誤解をしたままでいた、という事になります。危ないところでした。でも答えがわかって、納得感で今は幸せな気分です。医学的に少し矛盾する点は帳消しとしましょう。私のようにラブロマンスが好きで(ナルシストで)かつ数学が好きなお方はまずは是非とも映画もご覧になってください。では本日の命題、映画のネタバレと参りましょう。ただしネタバレの嫌いなお方よ、ここでさようなら・ごきげんよう。
私なりの結論は、映画での最大のモチーフはオイラーの公式の哲学的意味を皆様に考えていただく事でしょう。それは具体的には、未亡人(博士の義理の姉、実は恋人)の人間としての苦悩を描く事にあり、主人公は実は彼女と言ってもよいでしょう。美人で憂いを秘めた俳優という事で、浅丘ルリ子の名演技が光ります。彼女は義弟たる博士と不義の仲になり、身ごもるのですが、苦渋の決断として堕胎するのです。オイラーの数式のプラスワンはこの世に生を受ける事の出来なかった我が子を示唆するのでしょう。その子供はどうやって命を宿したのかと言えば、天文学的偶然の二つのDNAのめぐり合わせ、つまりは e という無限定数と摩訶不思議な魔法の数・虚数とこれまた無限定数たる円周率バイの組み合わせ、そしてそれは掛け算と足し算で丁度ゼロになる。数式は博士と未亡人、二人の間にできた子供を正に表現しているのであり、そして現実にはそれはゼロであるという事。
小説でも映画でも博士が異常なまでに子供を愛する癖が描かれているのは、彼なりの人としての苦悩、失った我が子への思いの現れなのでしょう。
ただし、以上は全てあくまでも私の解釈です。実は映画にも小説にもそんな事はひとことも描かれていません。小説も映画も暗喩の世界。つまりは小説家小川洋子は私に解答のヒントすら与えなかったようです。彼女が私に与えたもの、それは Guess what。
|