正月の休みを利用してキューバへ行って参りました。2019年現在、米国トランプ政権の経済制裁政策が続いているので、米国経由では訪問できません。旅行社にお任せするだけの旅でしたが、トロント経由でエアーカナダのみを利用してキューバとの往復が出来ます。国際線を乗り継ぎするだけです。便利この上ない旅でした。一泊の機内泊の後に直ちに首都ハバナの観光が始まります。ただし日本とは縁遠い国ですし、現在は共産圏、しかも軍事独裁政権、秘密主義、徹底した言論統制。ヘモングウェイは戦前戦後を通じて二十年ほど、革命が起こる直前まで首都ハバナに住んでいたのです。もうひとつの別荘がフロリダのキーウエストである事は別稿にお書きしました。
彼は若い頃はファシズムを打倒すべくスペイン戦線に志願し、根っからのスペイン好きだったようです。キューバは公用語がスペイン語、旧スペイン領、つまりは宗主国の末裔の国なのです。別荘は首都の郊外にあり、今は国が所有する博物館になっています。老人と海を書いた書斎、タイプライター、等が見学できます。老人と海の舞台となった漁師村、コヒマル、は何の変哲もない海岸線でした。ハバナ市内には彼の行きつけのバーやホテルがあり、重要な観光資源となっていました。
前置きはさておき、キューバではインターネットに規制がかけられていました。やはりね、思ってた通りの国。一部のサイトは閲覧出来ませんでした。でもせっかく訪れたのだから、という事で、早朝に起きてヘミングウェイについて一時間以上も無我夢中で情報検索していたのはいいものの、情報が錯綜してしまい、日本語サイトで得た知識なのか、英語の情報なのか、閲覧できなかった情報すら、わからなくなってしまいました。それでも検索で多いのが旅行者の手記でした。政権の意図が見え見えです。観光で外貨を稼ぎたいのでしょう。多くがヘモングウェイの聖地巡礼記事及び文学論でした。
今回の現地取材の核心だけをお書きしましょう。彼がキューバに住む間に革命の嵐が起こります。チェ・ゲバラ率いるテロ集団です。アメリカ資本からの独立が目的です。しかもゲバラとカストロの軍は次第に優勢となり、首都の陥落も間近になりました。国全体に暗雲が立ちこめます。アメリカ資本は続々とキューバを撤退します。それでもヘミングウェイはテロリスト革命を支持し、別荘に残りますが、もはや限界、この別荘に戻る事は無いだろう、との言葉を残してキューバに別れを告げます。ノーベル賞がむなしい。キューバの人々、特に虐げられた人達をこよなく愛したたった一人の米国人だったのですが、翌年には米国でピストル自殺してしまいます。享年61歳。・・これからの人生だというのに。


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