純文学 |
大つごもり/樋口一葉 |
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私:おい、また娘達からラインだ。 妻:はいはい、あら、また食事のお誘いだわ。いやだ。 私:まあね、誘いとは名ばかりで親にたかる事ばかりだ。それは良いとして、旦那様方が共に当直でお留守となると必ず連絡が来る。旦那を働かせ私達から金を巻き上げる。 妻:何か適当な理由で都合が悪いから、と連絡しましょう。 私:そうだね。月に一度程度ならだけど。孫には毎週会いたいけどね。 妻:理由はね、大事な先約にして発信しておくわ。嘘も方便よ。 私:それがいいね。ところで、嘘も方便という言葉は僕はあまり好きじゃないね。美しい言い換え方 wisdom of speech なかったかな。 妻:何を気取ってるの、嘘は嘘よ。 私:いやあ、そうじゃなくて、ロマンチックな嘘、ってあるだろ。小説のモチーフで。 妻:小説ね。うーん、思い浮かばない。私が好きなのは専ら推理小説よ。私はあなたのような文学青年かぶれとは違うわ。でも、ウソがばれて娘を怒らせてはいけないわね。推理小説マニアの観点からは。ばれた時の言い訳も一流でなきゃねえ、あなた。 私:違うぞ、ロマンチック小説だよ。なにか読んだ覚えがある。オー・ヘンリーの賢者の贈り物、うーん、違う。おっ、そうそう、樋口一葉だ。大つごもりだよ。石之助の嘘だ。ありゃあ傑作な嘘だ。僕は石之助が大好きだ。 妻:粗筋すら忘れたわ。 私:お峰は貧しい家の娘、奉公先で大晦日につい家のお金の一部に手を出してしまい、実の親を借金から救い自分は死のうとしたんだ。それを見てしまった放蕩息子の石之助が、銭をもらいました、と置手紙をして家を去る。お峰に嫌疑はかからず、家の騒ぎは収まる。締めくくりは・・さらば石之助はお峯が守り本尊なるべし、後のちの事しりたや。・・とまあ、ざっとこんな粗筋だ。 妻:あらそう、尻切れトンボの小説ね。後々にどうなったのかしらね。 私:それが小説の余韻というものだね。私が思うに石之助はもともとお峰が好きだったのだろう。夫婦になりたいと思っていたに違いない。然し身分が違う二人が夫婦になれるべくもない。でも罪をかぶる事によってお峰の心を鷲掴みに出来た事は間違いない。・・それで十分だ。好きでたまらない女の心に石之助という名前を刻み込んでもらう、ああ、俺はなんて幸せな男だ。・・ 妻:お峰が、罪の意識に苛まれ、旦那様に詫びてしまわないかしら。 私:私の推察はこうだ。・・石之助はそれも見通していた。家を出てしばらく、引き返すように、お峰を呼び寄せたのだ。そしてこう言った。『いいか、後生のお願いだ。この事は誰にも言うな。いいか、おとっっあんにもお母さまにもだぞ。但しひとつ頼みがある。私がいつかお前より先に死んだら、私の墓にお参りしてくれ。それだけだ。いい人と結婚して長く生きて幸せにやるんだぞ。』 妻:あなたの推察は、お峰は目に涙をため、うなずくのがやっと、という訳ね。ハーレクィーンの世界よね。ハッピーエンドだわ。 |
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