ペスト カミュ

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2020、中国・武漢に発した新型コロナウイルスはパンデミックとなり、オリンピックは一年延期、各国の大都市は多数の死者が出て医療崩壊の状況、事態は時々刻々と変遷していて、日本でも緊急事態宣言が明日にでも発令される状況にあります。法案はつい先だって緊急で衆院を通過、一部野党を除いてほぼ全会一致の国会劇でしたが(K産党様、国民を敵に回しましたね)、実はこれすら遠い出来事のように感ぜられます。

早速に本題ですが、カミュと言えばサルトルと双璧をなすフランス文学の巨峰、代表作『ペスト』は戦後まもなく発表され、たちまちに世界のベストセラーとなり、カミュはその後に史上最年少でノーベル文学賞の栄誉に輝くのでした。昨日は懐かしさのあまり、近くの書店で買い求め、この怖すぎる小説を既に半分以上、読み終えたところです。学生時代にカミュも、サルトルも、サルトルの恋人サガンも、全て読んだ私ですが、悲しき忘却のかなた、それでも、そういえばこんな小説だったな、と「ペスト」に懐かしさを覚えます。入手可能な書物ゆえ、ご興味ある方はお読みいただくのがよいでしょう。筆者はフランス文学については浅学菲才につき、この作品について、ここであれこれお書きするのはやめましょう。なにより、まだ読了していません。

本日、ここにお書きするのは私の生い立ちです。私の生まれ育ちは岐阜県高山市久々野町大字大西。戸数が数十の小さな村です。それでも道路がよくなったおかげで今では飛騨の中心・高山市街へ車で十数分でいけます。昔は乗り合いバスで一時間でした。さて、私の家ですが、古い家だったらしく、墓石には寛永の文字が刻まれています。浄土真宗ですが、仏壇に過去帳やら、古い書き物もあって、必死で読んでみましたが不明な文字も多く、あまり正確とは言えませんが、家系図らしきものをみますと二度に渡って家が絶えてしまったようです。これを解決する方法が「両もらい」です。子供に恵まれない夫婦が幼い男の子と幼い女の子をもらって育てるのです。幼い兄と妹はやがて大人になります。そこで親が告白、お前たちは元々は他人同士、だから今日から夫婦になりなさい、と。とまどう兄と妹ですが育ての親の意を酌み夫婦となり、やがて子供が生まれ、そうやって家が続くのです。飛騨の言葉では、「生みの親より、しとね親(育て親)」。しとねる、は自動詞・人なる、の他動詞化です。「人にする」という意味です。つまりは「育てる」の意味。ところで、ですから、私はどこの馬の骨でしょう。飛騨の沢山の先祖様がたの血が流れている事は間違いないようです。

本題に参りましょう。父方の祖父ですが、当家(大野郡久々野村大西・山本家)へ養子で来たという事をその昔に知りました。祖父の生まれ育った村は同じく久々野町の久須母という部落です。興味が湧いて久々野村久須母について調べた事がありました。

なんと江戸時代には久々野村久須母は疫病で村人が死に絶えています。近隣の村人は怖くて誰も近づきません。それでも時は流れ、飛騨高山は願正寺(岡本町)界隈の村人の一部が、村では生活していけないからという事で新天地を求めて信州方面に向かったのですが、途中、久々野村久須母にさしかかり、無人の村である事を知り、かつて疫病で村人が死に絶えた事も知るのですが、もはや疫病すら消え失せてしまったのだろうと考えて住み着いてしまったというのが久々野村久須母の歴史です。久須母が現在も願正寺の檀家である理由です。私の祖父はその末裔というわけです。祖父のご先祖様は願正寺、とも言えます。つまりは私も願正寺の末裔。

さて史実として有名すぎるのが「大原騒動」、飛騨地方における江戸時代の最大の農民一揆です。大飢饉ゆえどうせ皆が飢え死にするなら、という事で一揆にかけた農民でしたが、江戸幕府の厳しい弾圧にて多くの農民が獄門、結果は完全敗北という惨憺たるものでした。

話は脱線しましたが、江戸時代に久々野村久須母の民が死に絶えてしまった疫病とは何だったのでしょう。文献は乏しく、あくまでも推察の域をでませんが、江戸時代に数十万人規模で死人が出たり、村が全滅してしまった病気のひとつはコレラです。コレラは南方の国々の病気のようにとらえられますが、江戸時代に何度も日本で流行し、多数の死者が出ているのです。人から人へ瞬く間に広がりコロリと死んでしまうので、コロリ(虎狼狸)と呼ばれていたくらいです。

結論ですが、江戸時代に私のご先祖様がたは大変な苦労をなさって、それでもなんとか生きてこられて、そして今日の私がある。その私はコロナのクラスターの近くで開業する身、今日も熱の患者様を診た。(2020/4/1)

ps 岐阜新聞web記事(2020年04月11日 08:47)によると可児市のクラスターの終息宣言。

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