純文学 |
白い巨塔 山崎豊子 |
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小説というよりもなんども映画化されていて国民の皆様によく知られた作品でしょうね。実は私にもささやかながら思い出があります。早速に。 昭和47年に地元の岐阜県飛騨で唯一の進学校・斐太高校を卒業するのですが、なんとか名古屋大学医学部に現役合格。十八歳の春でした。今、満66歳ですから、あと二年はなんとか町医者を続けて、つまりは医学を志して50年、つまりは医学徒としての金婚式を迎えたいというのが私の当面の人生目標です。その後の事はあまり考えていません。将来はドイツに移住、などという夢も何年も前から計画はしているのですが、果たして現実はそれを許してくれるのか。ひとつには現在、診させていただいている患者様がたの事があり、患者様には怖くてお話すらできません。・・脱線しました。私の十八歳の春、つまりは48年前にタイムスリップしましょう。 教養部の一年生新学期ですが、最初の一週間はガイダンス続きでした。一コマ分を医学部学生自治会がなさったのですが、任意参加のガイダンスではなく、新入生百人全員が聴衆です。場所は教養部の小講堂です。自治会長の簡単なご挨拶があり、すかさず、僕たち先輩から諸君にとっておきのプレゼントです・今からここで『白い巨塔』という映画の上映会をします・二時間ほどの映画ですが観て損はしません・ただし途中でつまらないと思われたら退出は自由です、のご発言に続き、全ての窓の暗幕が降ろされ早速に上映が始まりました。 誰でなくともわかります。なるほど名古屋大学医学部に入学するというのはこういう事か、これは毎年おこなわれている伝統行事なのだろう、つまりは医学部新入生の洗礼式なのか、と同級生全員が感じたはずです。 上映会は終わり、会議室はは明るくなり、途端にざわつきます。私のような田舎の高校の出身者でしかも斐太高校出身者は私だけ。しかも朴訥です。皆の話の輪に入れません。同級生の最大派閥が東海高校出身者です。ざっと二十人もいます。高校のクラス会の延長のような感じで、げらげらと談笑しだします。次なる派閥は旭丘高校、これも十数名はいて、やはり、ケラケラと映画論評しあっています。 ひとり田舎の出身者は心の中で、財前はやり過ぎだな・だから神様の天罰がくだったのだろうか・僕は将来は里見のような医者になりたいな、などとつぶやき、百人の中での孤独を味わいつつも立派な医者になろうと自身に誓うのでした。それにしても東海・旭丘、名古屋のトップクラス高校の出身者はあか抜けているというか、かっこいい、というか、僕も田舎出をいち早く脱却しなくっちゃ。立派な医者になる前に、かっこいい大学生になるのが当面の目標だ、などと思ってしまったのでした。 更には学生会のお膳立てで、夕方からは大学病院に隣接する鶴舞公園その中にある茶屋・辰巳茶屋での宴会が計画されたのでした。未成年である者も多いのに酒宴です。全員で月光仮面を歌った時には宴は最高潮、俺たちはワンチーム、永遠の同級生仲間、そして卒業から48年の年月が流れた今も相変わらず同窓会は健全です。 これでお判りでしょう、白い巨塔の中で同級生という秘密結社は何物にもまして絶対的な意味を持つ医者同士のつながりです。また医局にして然り。教授・恩師・先輩・同僚・部下、皆がワンチームを自負する秘密結社なのです。自然科学を用いた人類への福祉が目的。そして医者たる者同士をつなぐもの、それは信頼と尊敬です。 国民の皆様へ、これでもうお分かりですね。小説は所詮が小説で、単なるフィクションです。小説・白い巨塔に描かれているドロドロとした世界は現実世界には存在しません。私は亡き産婦人科医の岳父を母校の大先輩として、また、恩師や留学時のボスを今も父と思って慕っています。私がかつての部下に慕われたかはわかりませんが、慕われる努力はし続けた、と一言、書き添えましょう。 |
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