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天の夕顔(2) |
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はじめに 本日は2020/50/28ですが、木曜日で診療所は休診です。家内は一日、衣替え等で忙しいからという事で、お許しをいただいてオートバイの終日ソロツーリングと洒落込みました。コロナ感染特別措置法で全国に緊急事態が発せられて二か月でしたが、先週までに患者数が激減し今週に解除となったのでした。まずはめでたし。ただし、行政は引き続き不要不急の外出は控えるよう、国民に呼びかけています。特に県をまたいだ移動は控えるようにとの事です。でも県内の移動ならば距離を問わず可能と拡大解釈、朝早くに自然の目覚め、ささっと身支度をし、バイクに飛び乗り、早速に出発しました。 目的地は奥飛騨山之村牧場「中河与一文学資料室」〒506-1104岐阜県飛騨市神岡町森茂1157番地、別名が山之村。私は岐阜県可児市の住まいで県の南端です。山之村は県の北端です。小説・天の夕顔の舞台です。つまりは岐阜県内を南北に端から端まで往復の気ままな一人旅です。まずは国道41号線を北上します。名古屋と富山を結ぶ一級国道です。飛騨川に沿って上流へと北上し、分水嶺を超えて表日本から裏日本へ、尚も41号線を北上するのですが、今度は宮川を下るのです。国府町で41号線と別れ山道を峠越えし、神岡の町に入ります。再び山道を北上、そこには別世界、アルプスチロル地方のような山之村。ひっそりとたたずむ人々。キャンプ場や牧場があるのです。 位山官道は天気晴朗なれど道険し さて位山官道といって萩原市上呂と高山市一ノ宮町を結ぶ山道があります。何万人もの飛騨の匠が律令制時代幾世紀にもわたりにテクテクと都と飛騨の間を行き来した歴史ある道です。萩原町上呂で浅水(あさんず)大橋を渡り、南飛騨安らぎ街道を北上、位山峠に向かおうとしたら、あれーっ、道路工事のため閉鎖中、しかたなく尾崎小学校を左折し、小坂を目指し、宮峠を目指します。 閑散とした高山市 ほどなくして高山に到着しました。燃料計が半分以下、これから山攻めなので絶対に満タンにしておくべきです。こじんまりとしたスタンドにはいったら、いらっしゃいと出迎えてくださったのが80歳近いおばあさん。背が低くなってしまったのでセルフでやってくださいませんか、とおっしゃるので勿論、了承。「どこからですか」との問いに「岐阜県の最南端やさ。愛知県境なんやさ。」などと答えるのですが、私が飛騨弁丸出しでお話ししても、実はおばあちゃんはそれに気づきません。面白いので久々野の出身である事は一切あかさず、飛騨弁の応酬、彼女はとうとう最後まで私が地元・高山の人間である事にお気づきでなかったのです。 続いては観光客も激減しているかも、陣屋辺りを走ろうとて中橋を通過したのですが、やはり観光客はほとんどいらっしゃいませんでした。地元びいきかもしれませんが、ほんと、高山はほっこりする町ですね。皆さま、ぜひ私の故里・国際観光都市高山へおいでませ。 懐かしの斐太高校 さて、次は京アニ「氷菓」の舞台、母校の斐太高校へ行ってやれ、という事で、この辺のルートは私には定番のパターンです。市内の端にあります。時刻は十一時ころでした。校門に着きました。勿論、部外者入校禁止の案内があります。私は如何に卒業生とは言えアポもないバイク野郎、しばし校門にて校内を見やるしかありません。でも自家用車は沢山駐車しているし、教室の天井には明かり、おっ、授業は始まってるのかな、という雰囲気です。 ほどなく、パラパラと男女が出てきます。服装は既に全員が夏スタイルでした。校門の前の私のバイクの前を通り過ぎていきます。本当にびっくりしました。・・おっ、幼すぎる。若しかして中学生、まさか。ははあ、新一年生か。ついこの間まで中学三年だったのか。あーあ、私もあんなにも幼くてナイーブな時があったのか。あの当時、高一にもなれば立派な大人に近い、などと勝手に自分で思っていたものだが、やはり今の私・66歳の人間達から見れば当時の私達はホンの子供だったのだなあと実感。彼等には未来というものがある、あーあいいなあ、私ももう一度、高校生に戻りたい。 正午の神岡町 さて、道草を食べたらきりがありません。本日のお目当ては神岡の更に向こう、「中河与一文学資料室」です。国府まで走り、以後は携帯ナビで神岡をまず設定、峠を越えたら平野が開け、船津高校に着きました。道を下り神岡の町に入ります。ここで丁度、正午。夕刻までには自宅に帰らねばなりません。家内と料亭を予約しています。時間的にアウト、万事窮す、日帰りツーリングの鉄則ですが正午を回ったら目的を諦め直ちに帰宅の途に就くべきです。つまりは目的地を目前にして引き返す勇気。 目指せ山之村 ところが、な、なんと目の前に「山之村」の道路案内があったのでした。私に向かって、つまりは、せっかくここまでいらっしゃたのならおいでおいで、をしているのです。ここから多分一時間かかるでしょう。つまりは往復で二時間でつまりは14時に神岡の町まで戻っても、夕刻までに自宅に戻るのは不可能。でも、待てよ、帰りは東海北陸道、つまりは高山から美濃加茂まで高速道路で帰宅すればなんとか時間的にはセーフじゃないか。すばやく計算したところ、昼食をとらねばなんとか行けそうです。 決心しました。よし、昼食なしで「中河与一文学資料室」へ行こう。帰りは高山から高速道路。代金は多分2300円ほど。安くはないが、時間をお金で買うという事はこういう事だ。 さあ、神岡の町を離れ、日光いろは坂も顔負けの急こう配のつづら折りの細道をどんどん登ります。神岡の町並みがどんどん小さくなります。ふう、とうとうつづら折りを登り切りました。ひぇーっ、神岡の町があんなに小さく見える、というか、よく見えるのは高原川の左岸、つまりは船津高校です。そして北アルプスの全貌、飛騨の山並み。本来ならば道端に降りて景色を愛でて、心おきなく写真撮影に興じ、といったところですが、なにせ今日は時間がありません。神岡の町よさようなら、とつぶやき尚も山中に入ります。と、間もなく、ひぇーっ、右手に巨大な沈殿池、そして道路に沿ってトロッコレール、なるほどこれが神岡鉱山の跡なのですね。尚も走ると二人の交通整理のお方とすれ違いました。にっこり挨拶、どんどん山の奥へ分け入ります。 日本のチロル やがて道はアップダウンになりつつも道の勾配はゆるくなり、高原にようやく到着です。ひぇーっ、お花が道端に咲いているし、緑がまぶしいし、すぐ間近に雪を抱いた笠ヶ岳、やっと見えてきたまばらな民家、カーブを曲がり切ったところで突然に広がる田畑、牧場、点在する家々。遂に到着しました。いやあ、想像していた以上の素晴らしい光景でした。ここは正に日本のアルプス・チロル、私も飛騨に生まれ育ったとは言え、飛騨のあちこち全てをオートバイで走破したわけでなし、いやあ地元・飛騨・神岡町にこんな素敵なところがあったんだ。きっと村の皆様は純朴な人達なんだろうなあ、飛騨弁取材ができたらいいなあ、サイトのコンテンツにとってこれほどの材料はあるまい、等々、期待はしましたが、走っていて誰にも会わず。しょぼん。 「中河与一文学資料室」よ、また会おう さあ、「中河与一文学資料室」に着きました。思わず目が点、なんとコロナで休館でした。時刻も十二時半を回っています。感傷にひたる余裕はありません。私は岐阜県の北端の山中にいるのです。あと五時間で岐阜県の南端の自宅に戻らないといけないのです。資料室よ、さようなら、また日を改めて訪問するね。この山之村の素晴らしい景色は是非、家内にも見せたいし。気を取り直して、今来た道を帰ります。まずは神岡の町まで戻るのです。山道をどんどんと下ります。地形が判っているのでスピードは、やや速めです。 恐怖の大迂回 ほどなくして、小一時間前に挨拶した二人の交通整理人のポイントに到着しました。ドキッ、えっ、どうして、思わず絶句です。先ほどの道を閉鎖していらっしゃいます。実は先ほど来、すぐそこで道路工事が始まり重機が入り道を通せんぼ、15時半に再開通するとの事でした。どっ、どうしよう、家に帰れない。私の頭は真っ白です。家に携帯で緊急連絡しようにも圏外です。県内だというのに。聞けば、まずは気を取り直して「中河与一文学資料室」まで戻って、尚も前進すれば山吹峠というのがあって、そこを更に超えたら上宝村、つまりは神岡を流れる高原川の上流に出る事ができるとの事、つまりは一時間のう回で神岡の町に到着できるとのアドバイスでした。ううっ、辛い、泣ける、神岡の町はすぐそこだというのに、時刻は13時過ぎ、つまりはこの場に留まり二時間半後に再開通したら神岡に戻るか、あるいは山吹峠経由の一時間の大う回路で神岡に戻るか、私は一分でも早く妻のもとに帰りたいのです。山之村の光景に感激しつつも・・山の神が怖いのです。一瞬の迷いも無く大う回路を選んだ私。留まらず引き返す決心、気持ちは正に映画・ネレトバの戦いでした。 再び登り道、ああ小さくなる神岡の町、笑えません、笑います。ほどなくして山之村に戻ってしまいました。「中河与一文学資料室」の前をわき目も振らず山吹峠とやらを目指します。若し山吹峠も封鎖なら、・・私は山之村の高原に閉じ込められてしまっていよう、と不安な気持ちがよぎります。 岐路 ふう、やれやれ、小一時間走って船津高校に着きました。高校よ、さようなら、後は目指せ高山市、東海北陸道の入り口です。途中、国府でコンビニに寄ってサンドイッチを買い、パクつきました。こころの余裕が出来てしまったのです。高速道路に入ったのが15時。計算通りです。まず間違いなく夕方までに帰宅できます。勝利への方程式、女神は私に微笑んだのでした。 自宅にもどったのが五時半です。家内がひと言、「お帰りなさい、あら早かったのね、今日は何処へ行ったの?」・・ふふふ、これですからオートバイのツーリングは止められません。 Travel is trouble, but --- なんとか冷静な判断にて目的完遂の一日。今日も安全運転出来た事に感謝。そして数えきれない土産話、つまりフォーエバー精神遺産。クリックしてくださったあなたにも本当に感謝します。アクセスカウンターが私の文筆力の源です。 |
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