前代未聞の難物件「饅頭婆古墳」。
可児裏スポット調査隊初の行政サイド全面協力にて
実現した夢のコラボレーションマッチスペシャル((゚д゚)??)が
今ここに・・・・・・

 ヘビにも負けず、カブレにも負けず、竹やぶにも張り巡らされたクモの巣にも負けない丈夫な体をもち、性欲はあるが決して犯さず、いつも静かに妄想してる。(途中略)企画倒れに涙を流し、カメラを落とせばおろおろ歩き探し、みんなに糞ノエルと呼ばれ、HPの閲覧も少なく、反応も少なく寂しいけれど、そういう人間に僕はなりたい。
 思い起こせばこの物件は時間の関係もあり、半月に渡り調査し、墓荒らしに対してのツタンカーメンの呪いの如く、饅頭婆の呪いがノエルに襲い掛かったが、ノエルは負けずこの地点に至った。それは、山の奥にはなく、微妙に面影ある山道のすぐ脇にあるという、道なき道を探し回っていたノエルにとっては少し期待はずれであったのだが、
この光景を見た時は、ため息が歓喜にと変わり、持参していた可児の昔話の本にある写真と何度も何度も見比べ、ここが写真の地「饅頭婆古墳」であるという確信に至った。その場所とは前ページの地図の写真の、お役所が仮定した地点と、おじいさんが教えてくれた地点の中間程にある黄色いぐりぐりの部分である。

本に出ていた写真
饅頭婆古墳は今でもその形を変えることなく、周辺の気持悪いシダ植物に守られるかのようにひっそりと存在していた。残念ながらこの周辺に、おばあさんが住んでいたと思われる洞穴は見つからなかったが、この古墳自体が昔は横穴墓古墳だった可能性も十分ありえる。とりあえずはここで昔はおばあさんが饅頭を売っていたのは間違いないが、このような場所で実際に営業し、経営が成り立っていたのだろうか?はなはだ疑問に思われて仕方が無かったので、一度出直し、ノエルも試験的に営業を試みることにした。
 そのためには個人商業登記が必要なため法学部で得た知識を使い、岐阜地方法務局美濃加茂出張所へ行き、必要な書類・印鑑などを届出てはみたものの、事情を聞くなり好きにしやーと、まったく相手にされず
街角のタバコ屋さんと同様、登記なしで営業することとなった。(ちなみにどこからどこまでが本当・嘘なのか分からない人のために問い合わせ窓口設立を検討中であります。)
 さて、まんじゅうを仕入れる問屋さん選びに迷った挙句、ファミリーマートを取引先に決め、原価105円のまんじゅうを3つ仕入れ、粗利を25円とし、130円にて販売することとした。それでは、実際に昔話と照らし合わせて御覧頂こう。


「村はずれの峠の道に、」
「まんじゅう屋が店を出してのう」(一応お店です)
「(そこで、)饅頭をください、というと、はいはい、今すぐにと返事をしながら石で作られた穴のようなところから婆様がでてござっせる。」(婆さんはいません石の穴もありません)
「旅の人はびっくりしてへぇ、おもしろい住まいやなぁと聞くと、なぁに、そりゃ済み心地いいんな。と答える。」(衛生上かなり問題があります。なお、御休所の垂れ紙は自分で書いたのではなく、フリーのPCソフトを利用しました)
(まだ一個も売れてません、もう5月なので、ブーンと虫が飛んでており、彼らがいつ饅頭に手を出してもおかしくない状態で不安です。本当にここで饅頭を売っていたのでしょうか?そして売れたのでしょうか?お婆さんも経営難で夜逃げでもしてしまった可能性が高いです。)
3分ほど待っていたのですが、結論から言わせてもらうと、この場所でおばあさんが食料品を扱っていたということは限りなく黒です。周辺の草を刈って、縁台などを使用したとしても黒です。もしそれが事実であったのなら、旅人は腹を壊しウンコ垂れ流しで泣きながら峠を越えたに違いありません。


出店後4分後には事実上、出店のための紙代などの赤字が残り廃業いたしました。1コ105円の高級まんじゅうは、もったいないオバケが出るので、捨てるはずも無く、虫が飛び回る中
幾度と無く投げ捨ててやろうと思いましたが、3つとも食べてしまいました。やはり値段が高いだけあって、皮は薄くてアンコずっしりと重量感あるまんじゅうでさすがに苦しかったです。顔がまんじゅうになった気分です。その道?のようなものを下っていくと、一軒の家の横に出ます。そこの家の方々は当然知っておられ、ケーブルテレビ可児も一度見に来たことがあるそうで、当サイトは可児「裏」調査隊なので、CATVと同じ物に手を出してしまったことを深く反省しており、次の物件探しに精進してまいりたいと思います。

さて、営業不振&食中毒事件を引き起こし(?)、消息不明となったおばあさんではありますが、次の仮説が考えられます。今まで培ってきた饅頭作りのノウハウを生かし、山をおり、新たに製菓業を営み、それが今の可児市の製菓屋「駿河屋」を初めとする老舗として今に続いているということですが、そんな夢のような話はないでしょう。たぶん普通に死んだんです。なお、今地区の人に聞いていて分かったんですが、「饅頭」ではなく、「たまご売りのお婆さん」ではないか?との声もありました。話が少しずつ分かれているのか、モデル話となったのか、はたまた、まったく別の話なのかは定かではありませんが、生きた歴史を感じさせられる今地区の人々でした。
めでたしめでたし

(後日、お役所の方へ詳細な場所を報告しておきました。)